分田七郎俊長の資料を調べていたら、えっ、という記事を見つけました。旧水原町に会津藩の領地があったのです。NHKの大河ドラマ「八重の桜」で4月から5月にかけて、綾野剛が演じる会津藩主・松平容保(かたもり)が京都を守るために苦労していますが、その功労で文久3年(1863)越後下郡において新増5万石を賜ったときから、上福岡・西岡・水ケ曽根の集落地が会津領になりました。ここは、桑名領で柏崎代官の管下でしたが、文久2年(1862)、会津藩が福岡代官所を創設。そして、京都守衛の功労で領地になったのです。会津藩は上福岡と西岡の間に陣屋を建てました。陣屋として長屋を建て、周囲に堀をめぐらし橋を渡って陣屋に入りました。堀は幅約13m、最深3mで陣屋敷地は約5反歩(50a)以上だったそうです。跡地は現在 土地改良事業で田になっています。1868年の北越戊申戦争が起きたとき、上福岡・西岡・水ケ曽根は会津方であったので住民は官軍の攻撃を恐れ、民家の戸・障子を開け放し身は安全地帯へのがれ焼き討ちされるのを防いだそうです。しかし、この時はすでに陣屋は無く、水ケ曽根で交戦があったそうですが、たいした戦場にならずにすんだそうです。綾野剛演じる松平容保は隣の県(会津藩)の殿様と見ていましたが、地元の藩主でもあったのですね。この話は、水原町教育委員会発行の「水原の歴史風土」から一部を要約して載せました。ところで、なぜ会津藩は水ケ曽根などを欲しがったのか。私が考えるには、阿賀町(旧津川町)は会津藩の領地で、津川町で伐採した木材を阿賀野川に流し下流に運び売っていました。水ケ曽根で材木を陸にあげて製材していたのと、人口密集地の分田集落に隣接していたので、木材販売に便利な土地・地域だったからでしょう。つまり、水ケ曽根地域は会津藩の木材販売の支店地域として会津藩が欲しがったのでしょう。今から145年ほどの話です。 管理人
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