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新潟ロシア村の記録  102(1987)

2025年02月25日 | 新潟ロシア村の記録

 1989年(平成元年)夏 新潟中央銀行の宣伝チラシ

 新潟ロシア村に融資した新潟中央銀行。 以前は新潟相互銀行という名前で、新潟県に存在した第二地方銀行。 1989年(平成元年)2月1日に新潟相互銀行から新潟中央銀行に、普通銀行に転換した。特に5代目頭取の大森龍太郎が卒いる上層部の同族経営による乱脈融資が行内で深刻化した。多額の融資をした新潟ロシア村は1993年9月1日に開園。2004年4月に閉園。 

 (上)のチラシは新潟中央銀行として転換した年の夏の銀行宣伝チラシ。このチラシの4年後の1993年に新潟ロシア村が開園。その6年後の1999年(平成11年)10月2日に新潟中央銀行は経営破綻。 相互銀行から普通銀行に転換した10年後に経営破綻するとは誰も想像していなかったでしょう。今では、阿賀野市の旧水原町中央町2丁目に新潟中央銀行が存在していた事を知らない人が多くなりました。(上)のチラシの下部には「人のかがやき、街のかがやき、育んでいきたい」という文字があります。現実は、その反対になりました。多くの新潟中央銀行の行員は、銀行の経営破綻のため仕事を失いました。又、他の職業に転職。一部の人は大光銀行などに勤めることができました。ネットで「新潟中央銀行」と検索しても当時の新潟中央銀行の宣伝チラシが表示されないので、歴史の記録として投稿しました。


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