権力が市民に同調を求める時の常套手段を心得ていれば、いたずらに同調せずに、市民として、「自分の頭で考えて、政治選択する」という当たり前のことがしやすくなります。
民主主義社会では、同調しないこともできますし、実際、全体が同調することはあり得ません。全体主義体制では、少数の非凡な英雄と殉教者だけしか、服従を拒否することを期待できません。しかし、こういった違いが、民主主義社会と全体主義体制にありながら、民主主義社会でも、同調が圧倒的に多い場合があります。その訳は、結びつきを求める気持ちに対する答えが「ある」からなのです。さらには、別にもっといい方法がなければ、群れに一緒に同調することが主たる方法になってしまうからなのです。人って、他人と異なることを恐れるようになりますし、その恐怖心は、群れからちょっとでも離れただけで生じるのです。「相手にされないなんて嫌だ」という思いが、どれだけ深いかお判りでしょう。この同調しないことによって生じる恐怖心は、同調を拒む者に対して村八分などにする、実際の危険を恐れることにもなります。ですが、現実問題、人って、同調を強制される以上にはるかに同調したいものなんです。少なくとも西洋の民主主義社会においては、そうです。
同調圧力がどれだけ強いかお判りでしょう。「相手にされないなんて嫌だ」という気持ちがどれだけ根深いか、の裏返しですね。これが西洋の民主主義社会の現状だ、とフロムは言うのですから、驚いちゃいますね。それじゃあ、日本はどうなんだって感じです。
日本は、西洋の民主主義社会以上に同調圧力は猛烈です。一般に日本は「民主主義社会」とされていますが、私はこの考え方は、現実、現状を反映しない抽象論、ウソだと考えます。なぜなら、民主主義社会なら、原発事故の後で、損害賠償を減額したいために、避難すべき放射能レベルを後出しジャンケンで大幅にゴマカシましたりは、しないでしょう?! ほんとうに民主主義なら、損害賠償にいくらかかっても、そんなゴマカシはしないはずです。また、無実の人を半世紀も監獄に置いておくこともないはずです。それから、風俗店が行っている社会福祉のほうが、市役所がやってる社会福祉よりも優れているなんてことは、民主主義社会ではありえない! この点も挙げておこうと思います。枚挙にいとまないほどですから、この3つの例で十分に日本社会の非民主主義、すなわち、人間らしい暮らしからかけ離れているか!がお分かりでしょう。
ですから私は言いたいのです。「みなさん、このまま流されちゃっていいんですか?」ってね。