後から来たものが、先になる不思議ルターは自分の信頼を、聖書を正確に翻訳して、理解する中で確かにしていました。 Young Man Luther 『青年ルター』p199の第4パラグラフか...
発達トラウマ障害=愛着障害の子どもがは、「ダメだぁ」と言われるようなことをしがちです。But,「それにもかかわらず」、発達トラウマ障害=愛着障害の子どもは、「ダメな子」ではありません。「ダメだぁ」と言われるようなことをせずにはおれない心理、「『ダメな子』だから」という間違った理由ではない、心理的背景を常に考えながら、良い良心の大人が関わる必要がある訳です。あの無知無恥の夫婦みたいな、悪い良心の大人は、発達トラウマ障害の子どもに関わらせてはなりません。虐待になるような関わりを、「指導」「教育」の美名を隠れ蓑に、しがちだからです。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.244の、第2パラグラフから。
コナー、ピーター、ジャスティン、レオン、ローラに作用したような、赤ちゃんの頃から発達トラウマを負わされてきた子どものセラピーをするためには、現代の世の中では足りないことが多い、2つのことが求められます。それは、時間と待つことです。トラウマを負わされた子ども達は、ストレスに対して大げさに反応しがちでしょ。今まで見てきたように、ストレスによって、発達トラウマ障害の子どもたちは、攻撃的にも、衝動的にもなりますし、愛情に飢えます。こういう子どもたちは困りますし、興奮しやすく、かつまた、なかなか落ち着きませんし、ちょっとした新しい変化に過剰反応しますし、物事を始める前にやり方を考えないでやる場合が多いものです。安心し、自分は大事にされていると感じるまでは、「止めなさい」といくら言っても、行動を改めませんからね。
発達トラウマ障害の子どものセラピーがいかに、心理的な洞察と、時間と、変化をユッタリと構えて待つ必要があることが分かります。発達トラウマ障害の子どものセラピーには、それだけ、根源的信頼感の豊かさに支えられた、気長でいて、繊細な対応が必要な訳ですね。
そんなところに来て、あの無知無恥の夫婦がやったような、理不尽で不誠実な横やりを入れ、公金横領のように、自己中心的に公的制度を捻じ曲げて、邪な心で、公的制度を乱用するようでは、発達トラウマ障害の子どもを殺すに等しい暴挙です。
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