ルターは自分の信頼を、聖書を正確に翻訳して、理解する中で確かにしていました。
Young Man Luther 『青年ルター』p199の第4パラグラフから。
『詩編』は、1513年~14年度に、聖書講義をする新しい講師が最初にやった、一連の講義のテーマでした。伝統によれば、詩編を詠ったダビデ王は、無意識裡の預言者と見なされていましたから、彼が歌う詩編は、キリストが神様や教会に言おうとしていることを、前もって言っておいたものでしたし、あるいはまた、他の人たちがキリストに言ったり、キリストについて言ったことを、あらかじめ言っておいたことでした。ここで大事なことは、ルター主義が、新プラトン派と典礼と神秘主義とスコラ哲学の解釈を爛熟させて、混ぜ合わせたものから生まれていることでしたが、私どもが忘れてはならないのは、ルターが、個人的な葛藤を抱いたのも、神学的に異端になったのも、私どもが注目するものですが、学問的に確かな技術と責任感のある授業に堅く根差していた、ということです。
ルターは、中世カトリックに「混乱」をもたらしましたから、個人的な葛藤も抱え込むことにもなりましたし、異端視されました。しかし、それは、ルターがいい加減なことをした結果ではなくて、学問を究め、授業を、自ら極めた学問に基づく責任感のあるものにしたからでした。ルターは異端視され、迫害されましたが、ルター個人の方がローマカトリック帝国よりも、正しかったのでした。
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