エリクソンのライフサイクル理論は、高齢者になっても、イキイキ、ピチピチしていることを理論の中に取り込んでいます。すごいですね。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p63の第2パラグラフの9行目途中から。
イキイキ、ピチピチした関わりがなくなることは、高齢者が心の病になっている明らかな症状に隠されている哀愁であるように見えます。高齢者のdespair「「良いこともあったけれども、“人生に何の望みもありゃしない”という感じ」」のほとんどは、現実には、元気がない感じが続いちゃうことなんですね。こうなるとね、高齢者のセラピーが長くなる、と言われますし(King,1980)、新たな症状があっても、単なる赤ちゃん返りだと間違われやすくなります。特に、高齢者が、残り時間はないし、居場所もないことを悲しんでるだけじゃぁなくて、(私どもの表の一番上の列の、左から右へと読めば)自分の感じに従う自律性も弱くはなるし、自分の感じに従って行動を始める自主性もなくし、自分の感じに従って親しむ親和性も見失い、次世代を育む次世代生成性も無視されていることを悲しんでいる場合です。これは何も、自分を確かにする過去の可能性についてばかり言うのじゃなくて、限られた自分を確かにするすべてのことを言っているのです。これは全て、「発達の任務に退行すること」かもしれません(Blos,1967)。これはつまり、(文字通り)「高齢者特有の葛藤」を解決したいと願ってることなんですね。
高齢者だからと言って、他の年代の課題と無関係に課題を解決するんじゃぁ足りません、というのがエリクソンの主張のようですね。エリクソンがここに挙げるのは、2歳くらいから60才くらいまでの発達にまつわるかだいですが、実際は、生まれてこの方の課題も一緒に問題にしないといけません。それを問題にして、初めて「高齢者特有の葛藤」も解決できるらしい。
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