裸の王様。裸の王様の話は、騙した仕立て屋と、おバカな王様だけでは成り立ちません。重臣や他の家来たち、民衆も、その騙し合いに一枚噛んでしまた。それを東北大学名誉教授の宮田光雄先生は、「騙し合いのシステム」とよびます。宮田先生の文書を引用しときましょうね(いずれも『メルヘンの知恵』岩波新書・新赤版882 から)。
「大臣だけでなく、登場人物のすべて ――皇帝も、さらにあとから出てくる別の役人も民衆も――すべてが《色眼鏡》を掛けて、互いに偏見を強めることに共演しています。誰もが自分の偽りが露見しないように、自分が愚かで役立たずであると見られることへの不安が暴露されないように。こうして騙し合いのシステムが出来上がるのです」
また、宮田先生は、《ミラージュ(蜃気楼)効果》についても触れて次のように言います・
「たとえ自分の眼では、《はだか》の事実が見えていても、それを口に出すことはできないのです。なぜなら、彼らは、圧倒的多数の他の人ひとが別のものを見ていると信じることによって、互いに見えているかのように振舞い、そこに《蜃気楼》を生み出しているからです。つまり、《はだか》にしか見えないと言い切ることは、多数意見に反することになる。それによって、自分を社会全体の中の少数者という危ない愚かな地位におとしいれることになる。誰も、そうはなりたくはないのです」
この「騙し合いのシステム」と《ミラージュ効果》が一緒に働くのは、なにも、裸の王様の物語に限ったことではありませんものね。
私ども、弱い立場の、心理的課題を抱えた子ども達と関わる者は、『裸の王様』の中で《はだか》の事実を知ったら、ハッキリと「裸だあ」と言う、《見通し・イメージ》と《話し言葉》と《態度》が一致するような真実と、弱い立場の人を大事にする、自己一致、共感的理解、無条件の肯定的配慮に、いつも心のベクトルを向けていることが大事になる所以ですね。
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