エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#風を感じて、#生きましょう

2014-08-15 05:45:45 | アイデンティティの根源

 

 私どもは、権力に対抗するためにも、隣と認め合う関係が必要なんですね。日本の集団は、個人を抹殺するメッセージに満ちていますから、個人を活かすメッセージがいつでも何度でも必要なんですね。

  The Galilean Sayings and the Sense of “I”. The Yale Review. April 1981.,p.335の下から6行目から。

 

 

 

 

 

 しかし、私どもがヤーウェの神にとうとう向き合わなくてはならないのが、ここです。ヤーウェの神は、守護神であり続けた方ですし、当時まだあり続けていたのです。ヤーウェの神は、最終的に民族が敗れても、倫理的に、しかも、宗教的に自分を確かにする道が必ずある、という、決してなくなることのない実感と、ある種の果てしなき道義的な使命が自分たちには必ずある、という、消し去ることができない実感を育み続けたいと願う人々の守護神であり続けたのでした。そういった永遠(いまここ)に通じる実感は、ユダヤの民が他の民族の中に四散するというまさにその事実によって、枯渇するどころか、力を得ていたんですね。

 

 

 

 

 

 一般論で申し上げれば、ここは、日本人にはきわめて理解しがたいところです。ほとんどの日本人は、加藤周一さんが明確に指摘しておられるような意味での≪超越≫を知らないからです。しかし、「知る」というと、なんか知的な作業のようにすぐに誤解するのは、近代哲学にスポイルされている現代人の欠点です。そうじゃぁ、全くない。

 近代哲学では否定されている、したがって、ふつうは真理とはみなされないパレーシア、人格的真理ですから、頭だけで、主知主義で理解できるものではありません。いわば、全身全霊で、命がけで体得するものなんですね。生きてみなければわからない真理なんですね。

 こういうと、何か難しい話のように聞こえます。いいえ、違いますよ。なぜなら、それは自転車に乗ることに似ているからです。自転車に乗ることに難しさを感じる人がいらっしゃらないではない。でもね、たいていは自転車に乗ることは、さほどの難しさはないのじゃないかしらね。人格的真理は、その、自転車に乗ることに極めて近い。

 ≪超越≫。それは、自分と所属集団を超えて、生きる指針をはっきり示してくれる存在なんですね。神様、仏性、科学的真理、人格的真理(神様も人格的真理に入れられるかもしれません)…。これらは、自分や所属集団をはるかに超える普遍性がありますでしょ。私どもができることがあるとすれば、それに素直に首を垂れることくらい。しかし、その時、ハッキリと生きる指針が与えられますよね。

 ですから、≪超越≫をハッキリ体得していたユダヤの民は、「倫理的に、しかも、宗教的に自分を確かにする道が必ずある、という、決してなくなることのない実感と、ある種の果てしなき道義的な使命が自分たちには必ずある、という、消し去ることができない実感」を見失うどころか、日々新鮮にされていたんですね。

 

 

 それはね、

 風を感じて生きること

 

 

 

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