お月様、分かるかな?
とうとうその日になりました。明日も、もう一度、その日にしたいと思います。
p64の第2パラグラフ。
この変化の一番印象深い出来事は、神様がモーセの前に現れた、聖書の物語です。モーセが神様に「ユダヤの民は、神様が私を遣わしたとは信じないでしょう。でも、私がユダヤの民に神様の名前(偶像崇拝をする者は、どうしたら名無しの神様を理解するでしょうか?理解しませんね、なんとなれば、偶像の肝心要は、名前があることだからです)を言えば、それを信じます」と言うと、神様はモーセに歩み寄ります。神様はモーセにご自分の名前を教えます。それは、「私は、私が今なろうとしている者に、いまなりつつある者」です。
とうとう、神様がご自分の名前を「告白」する場面になりましたね。これは旧約聖書の『出エジプト』第三章1節~15節に出てくるところです。新共同訳では「私はある。私はあるというものだ」と翻訳されています。でもこの翻訳では、かなり分かりにくいですね。
新共同訳よりは、フロムの英語訳の方がはるかに分かりやすい。ここでは、becoming という言葉を使っています。つまり、「今まさになろうとしている存在に、今なりつつある者」ということで、目標、指針、目的を達成する瞬間を名前にしている感じですね。ですから、神様は常に成功でしょう。だって、いつでもどこでも、目標、指針、目的を今まさに遂げようとしているんですからね。
ですから、イエスが十字架で最後に言った言葉、「テテレスタイ τετελεσται
」=「できた!」(ヨハネによる福音書第19章30節)に、神様の名前がピッタリだということも分かりますでしょ。
こっちなら、お月様、分かりやすいでしょ。
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