ルターはまた鬱になりました。
Young Man Luther 『青年ルター』p.238の、第2パラグラフから。
ルターは、自分も父親として、思春期以降に自分を確かにさせたことを、ほぼ捨てました。これは、ヨーロッパでは変なことではありません(おかしなことではありませんでした)。特にドイツではそうです。少数の、ますます仮初めのキリスト者以外、ルターはますます、人を見れば、飢えたケダモノではないにしても、危険な香りのする子ども達と見なしました。唯一の安全パイは、ドイツ語でLandeskinder ランデスキンダー、「土地っ子」、すなわち、小さな諸侯の子どもたちくらいでした。その長者が、ドイツ語でLandesvater ランデスベイター 国の父でした。小さな州や教会の長たちが「代表」と呼ばれるようになったのも、同じです。
ルターは、世俗的な「代表」に頼ってしまったところに、落とし穴がありましたね。それが結局「二王国説」に繋がったと思います。この世とあの世を二元的に分けると、いろんなウソとゴマカシが生まれてくるのですから。
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