基礎と臨床、2つの視点宇沢弘文教授がなくなりました。86才。「行動する経済学者」と言われていたそうです。いくつかの番組で、その人と業績が紹介されました。その一つが先日の「クロースア...
今晩は、2人の子どものお話。
子どもと言ったら、大人になり切れないもの、一人前ではないもの、と見なされます。それが世間の常識です。「大人」はすぐに子どもにいろいろなことを教えようとします。日本の学校でやることのほとんどは、これです。しかも、教えようとしてることは、人格の発達とはほとんど関係のない話ばっかり…。
しかし、新約聖書に出てくるイエスは、まるで逆です。
「14イエスはそれを見ていきどおっていわれた、「子どもらをよこしなさい。邪魔をしないで。神の国はこんな人たちのものである。15本当にいう、神の国を子どものように受け入れねば決してそこに入れまい」と。16そして子どもらを抱き、手を置いて祝福された。」(前田護郎訳「マルコによる福音書」第10章 14節~16節)
イエスはなぜ子どもを大事にしたのでしょうか? それは本当のことは分かりません。しかし、イエスが「最も小さいものの一人にしたことは、すなわち、私にしたことだ」とおっしゃっているように、あるいは、「自分を大事にするように、すぐ近くにいる人を大事にしなさい(大事にすることになっていますよ)」とおっしゃっているように、子どもを大事にすることが、全ての倫理、人間らしい生き方の要であったことだけは、確かです。
じゃぁ、どうすれば、子どもを大事にすることができるんでしょうかね? そもそも、子どもを大事にすることって、どういうこと?
それは、2人の子どもを大事にすることです。眼の前にいる子どもと、心の中にいる子どもです。眼の前にいる子どもだけを大事にすること等、およそできない話しなのですから。心の中の子どもを大事にする分しか、眼の前にいる子どもは大事にできないんですね、不思議です。心の中の子ども、子どもですから、控えめで健気です。声高に「〇〇を取り戻す」などとは言いません。心の耳を澄ませないと、心の中にいる子どもの声が聴き取れません。マインドフルネス同様に、心をゆったりさせて、静かにすることを意識して、初めて聞き取れるくらいの小さな声です。子どもなんですからね。心の中の子どもの声に耳を澄ませて、対話を重ねると、眼の前にいる子どもともやり取りができます。イエスの言う「子どもを大事にする」というのは、心の中の子どもと対話しながら、眼の前にいる子どもとやり取りすることだ、と言って、間違いないと、私は確信してますよ。
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