情緒的に0才ですと、生涯、いろんな葛藤を抱え込み、何度も強い不安に襲われ、憂鬱な気分の繰り返し。
p89の第3パラグラフ。
さらに重度の心の病の場合、母親に対する執着が、一層深刻ですし、一層筋が通りません。このレベルですと、その望みは、象徴的に申し上げますと、母親の腕の中に戻ることではありませんし、自分を養ってくれるおっぱいに戻ることでもありません。むしろ、全てを受け止め、全てを打つ壊しにする子宮に戻ることなんですね。正気の人は、子宮から外の世界に脱出するのですが、重度の心の病の人は、子宮に魅せられ、子宮に飲み込まれたいのです。すなわち、人生に敗北しています。この種の執着は、子どもと、このように飲み込んで打つ壊しにするやり方で関わる母親との関係で起こることが普通です。時には「子どものため」という口実の下、また別の時には、義務として、そういう母親たちは、子どもが幼かろうが、青年でなろうが、大人だろうが、我が子を自分に思い通りにしようとします。すなわち、自分の子どもは自分で生きるべきではなく、母親を介して生きるべきだ、というわけです。つまり、自分の子どもは、他のすべての女たちを大事にすべきじゃぁなくて、ただ身体の関係からセックスする時以外は、蔑むべきだ、という訳です。自分の子どもは、自由になったり、独立したりなどすべきではなく、ずっと不具か犯罪者でいるべきだ、という具合です。
蟻地獄のように、子どもを吸い込む鬼婆。それが、一見親切そうで、優しそうな顔の下に隠した正体。クワバラクワバラ。この母親自身が、その子どもを自分の子分のようにしておかなければならないくらい、根源的不信感の塊だからですね。
でも、これは何も「母子関係」の専売特許じゃない。職場で、町で、ヤクザナ人は、同類の鬼婆ぁ。男でもそうなんですね。人を人とも思わない。奴隷制よろしく、人を奴隷扱い、子分扱い。ヤクザですからね。奴隷か子分にならない限り、あわゆるハラスメント・いやがらせ・意地悪をしてきます。
その時、私どもは、オートノミー自律と独立が試されてんですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます