聖書の言葉 :「天にまします父なる神様」: 天なる父は、ゴミの中におられるマインドフルネスの自由 早すぎる道徳は、禁物 上辺だけが優しい大人が、「正しいことを押し付ける」事は誠に厄介。しかし、子どもは、傷つきのある......
日常生活を礼拝にすること。
このブログの熱心な読者でないと,「何のこと?」と思うでしょう。熱心な読者でも,「何だか,いまひとつ分からない」という感じかもしれません。
日常生活を礼拝にすることは,自分の生活だけ考えても,「普通」と呼ばれている人たちを見ても,わかりません。外国や異文化の人,あるいは,感性が全く違う人の生活をよく見ないとわかりません,とエリクソンは言いますね。
先日の「ブレイブ,勇敢なる者 硬骨エンジニア」の録画を繰り返し見て,見れば見るほど,日常生活を礼拝にする典型だという思いが強まりました。エリクソンの文献を読んだ方は,メモリーフラッシュを開発したチームの10人ほどの人たちには,いるはずもないのに…。
日常生活の礼拝の一番の特色は,私の考えでは,陽気で楽しい,ということです。この開発チームの人たちが,もう東芝をやめている人がほとんどなのに,実に楽しそうに当時の話をしてますでしょ。それは,まるで,一緒に遊んだ思い出,みたい。
その遊びの中から,全世界の人たちが手にして,生活を変えてしまうような発明が生まれた。アインシュタインと同じですね。
彼らが語ることは,何よりも,実践したことこそが,日常生活を礼拝にすること,それは,実に困難で,実に心の底から,陽気で楽しい,遊びのように夢のあるベルーフです。その呼びかけ(ベルーフ)は,自分の一番深い心から,聴こえてきます。
みなさんも,お試しくださいね。
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