集会でのお祈りの時に、「御在天の父なる神様」、「天のお父様」、「天なる神様」などと冒頭などに祈る場合があります。神様は「高い存在」「高いところにいるもの」と、何となく思っている場合が少なくありません。いわば、「神様は高いところにまします」ということが「常識」。でも、『笑いの神学』で教えられたみたいに、「常識と正反対が真理」なんでしたね。
本田哲郎神父様は何と言っているのでしょうか?『釜ヶ崎と福音』より。
私たちは、「天の父よ」とか、「在天の父」と祈るとき、高いところにおられる神さまをイメージしていますけれども、それでいいのだろうか。
新共同訳のプロジェクトで、詩編113篇の翻訳に関して1つの重大な気づきがありました。この箇所には、「シャプール」という動詞が出てきます。その活用形で分詞形、「ハンマシュピリー」です。これは従来、「神は御座を高く置き、その高みから天と地を見下ろされる」(原文は下線部は傍点)(5-6節)です。そのため、天に高くいます神のイメージが定着してきたのです。…それを新共同訳では、「低く下って天と地を御覧になる」(原文は下線部は傍点)と訳して、神の御座が低みにあることを明らかにしたのです。「神さまは、あるいは神の子は、上から下にへりくだってくださっている。そしてわたしたちを救い上げてくださる」とする、旧来の神学の影響をまだ色濃く残した訳と言わざるを得ません。
ほんとうは、…「…神は、いつも低みから天と地をごらんになっておられる方なのですよ。神の視座、神の視座は、天の高みにあるのではなくて地の低いところにすえられているのです」。そしてそれがどのくらい低いところかというと、「弱い者を塵の中から起こし 乏しい者を芥の中から高く上げ」(詩編113篇7節)る。塵と芥、つまり、ゴミとホコリが降りつもるような、低い低い、社会の低み、そこに天の御父のはたらきの場があり、そこからいつも天と地のすべてを見ておられる。そこからすべての恵みが差し出され、そこから聖霊がほとばしり出ているのです。pp.144-5
これは机上でひねり出したことばではありません。
これは本田哲郎神父様の生活の実感です。
あなたも、同じ実感を持てるようになれると、晴れ晴れとして、イキイキ、ピチピチした毎日が過ごせますからね。
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