聖書の言葉 : マーゴイ : カウンセラーやサイコセラピストは「罪びと」?与える悦びと貧しさ 子どもに必要なのは、大人の「真実な態度」 「真実な」=信頼豊か 早熟の道徳性、早熟の良心は、禁物です。「正しい」ことよ......
今宵は,お久しぶりに,Childhood and Society 『子どもの時と対人関係』から,p.68の,第2パラグラフ,7行目途中から。
フロイトの用語法やそのあとに続く議論が,私どもが治療している人たちに広くみられるだろう力の本質を明確にしてこなかったために,その力を研究する臨床研究をボヤケタものにしてしまいましたね。私は,激しい怒りのことを申し上げているんですが,この激しい怒りは,ひとりびとりの人が,いまここを思い通りに自由にする感性にとって,なくてはならない人に関わる行動が,止められたり,禁止されたりすれば,必ず生じるものでしょ。このような激しい怒りが押さえつけられた時にどうなるのか,この激しい怒りがどれくらい,訳の分からない恨みや,無性に殺人や自殺をしたくなる気持ちを生み出すのか,は,心理学に課されている最も運命的な問いであることは明らかです。
この種の力が臨床の場でどのような働くのかを,もっと具体的にハッキリとさせるために,私どもサイコセラピストが何をやり遂げるために呼ばれているのか? と問う方が良いかもしれませんね。おそらく,臨床の場でのサイコセラピストの働きを明らかにすることにより,私どもが理解しようとしているいろんな力を理解できるようになれます。私はサイコセラピストの務めは,次のことだと申し上げたいんです。すなわち,子どもの患者とその親が,お互いに,自分の身体の働きを,相手の気持ちに,合わせあう,その互恵性をやり直すことですし,それは,お互いに,自分の体の働きに合うように,相手の気持ちをコントロールしようとする,実りのない,痛ましい,破壊的な試みをあれこれやるのは,止めにして,その子どもも,親も,自分で自分をコントロールすることを回復するように,互恵的に相手を認め合うように,体と気持ちを相手に合わせあうようにするためです。
このように,エリクソンは,最初期の著作で,そのライフサイクルの理論と臨床実践とが完成していたことが,分かりましたね。
仁科弥生さんも,エリクソンの用語法の難解さ,すなわち,ラテン語,ギリシャ語,ドイツ語を英語に翻訳して用いていること,その小林秀夫なみに,言葉を省略して用いる用語法に,全く歯が立っていません。しかし,それも仕方がないのかもしれません。
身体と気持ちがビッタリだと,陽気で楽しい。
身体と気持ちがずれると,ガッカリの繰り返しで,激しい怒りになります。
今のニッポン人が,激しい怒りの人が多いのが,なぜか? も,このエリクソンの記述から,分かりますでしょ。
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