#聖書の言葉 #単独者の恵み #お恵み
#聖書の言葉 #1人豊か #品性から生まれるもの 私が一番好きな聖書の言葉から。パウロさんの臨床心理学。 品性が滲み出ると、希望が生まれますからね。(ローマ 5.......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
p.119のブランクから。
今朝は,p.122の,第2パラグラフ,6行目から。
心が途方に暮れていると
良心的な両親でも不安になることが多いのは,アタッチメント研究によって,ときどき子どもに我慢ならないことや,うっかりしてこどもに調子を合わせることができない事が,一生残る傷を子どもに残すんじゃないか,と心配になるからです。実際の暮らしの中では,誤解や思い違いや分かり合えないこともありがちでしょ。お母さんやお父さんが赤ちゃんのサインを見落としたり,他のことにかまけたりしていますから,赤ちゃんは自分で自分を落ち着かせる方法を自分で編み出します。限度内であれば,問題はありません。子どもたちは,満足できなくても,ガッカリしても,何とか折り合うようになります。「善い」お母さんと一緒なら,子どもは,気まずいことがあっても,絆は直るということを覚えます。白黒が付くのは,子ども達がお母さんと一緒に居て安心,という気持ちに,腑に落ちることができるのか否か,ということです。
「普通の」中流家庭の2000人以上の赤ちゃんの中でアタッチメント・パターンを調べた研究では,62%は安心してくっ付くパターン,15%が,お母さんを避けてくっ付けないパターン,9%が,お母さんに不安なまま(2つに引き裂かれながら、と言ってもいい)くっ付けないパターン,15%が,お母さんに途方に暮れてくっ付けないパターンでした。面白いのは,男女差や生まれ持った気質は,アタッチメント・スタイルには,ほとんど影響しなかった,ということです。たとえば,「難しい」気質の子どもでも,途方に暮れるスタイルになるとは限りません。低階層の子どもでは,お母さんに途方に暮れてくっ付けないパターンになりやすく,それは,両親が経済的に苦しく,また,家族がバタバタしてして,大変な苦労をしているからです。
赤ちゃんの頃に安心できなかった子ども達は,大人になっても,自分の気分や気持ちの出し方を思い通りにするのが難しいんです。幼稚園までは,途方に暮れている赤ちゃんは,怒ってばかりいるか,あるいは,他の子から離れて関わらないようにするかで,その後,いろいろな心の病になります。途方に暮れている赤ちゃんは,また,生理的にも苦しんでいて,心拍数に現れるように,心拍数は大きく上下し,ストレスホルモンが大量に出て,免疫機能が落ちます。生理反応がうまくできない子ども達は,子どもが育つにつれて,正常になるんでしょうか? それとも,安心できる大人がいるところに引っ越せるのでしょうか? 私どもが知る限り,こういう子等は正常になることもなければ,引っ越しもできません。
親から大事に育てられませんと,子どもが途方に暮れるだけじゃあありません。親自身が自身のトラウマを抱えていますから,自分の気持ちをコントロールできませんし,心豊かな慰めや見守りを,一貫して子どもにプレゼントすることもできません。親が抱えているトラウマとは,子どもの頃粗末に育てられたり,性的に弄ばれたり,あるいは,最近親兄弟がなくなったり,ということです。どんな患者さんでも,子どもを安心して育てるのに役立つ支援で,手に入る支援は全て必要ですが,特に粗末に育てられた(訳注:発達トラウマ障害の)患者さんは,特に,子どもが求めていることに,息を合わせるために支援が必要です。
親が分かっていないことが多いのは,自分が(訳注:子どもに)息を合わせていない,ということです。ペトリア・べーベが見せてくれたビデオを今でも鮮やかに覚えています。そのビデオは,お母さんが生後3か月の赤ちゃんと遊んでいるものです。全てがうまくいっていても,赤ちゃんが尻込みして,頭をよそに逸らすことがあります。お休みが必要です,というサインです。でも,あ母さんはそのサインがくみ取れないので,赤ちゃんにもっと関わろうとますます頑張ることになります。お母さんは赤ちゃんに顔を近づけたり,もっと大きな声で話しかけたりして。赤ちゃんがさらに尻込みしても,お母さんは赤ちゃんを揺らしたり,つついたりし続けます。しまいには,赤ちゃんは大声で泣きだします。赤ちゃんが大泣きすると,お母さんは赤ちゃんを床に下して,ガッカリした顔をしてその場から立ち去ります。お母さんは「嫌だなぁ」と感じているのは明らかですが,お母さんができなかったのは,赤ちゃんのちょっとしたサインを見逃しただけなんですよ。このようなちょっとしたサインの見逃しでも,何度も何度も繰り返されたら,お母さんは「もう知らない」という気持ちにいつもなりやすい,と思いません? (夜泣きをする赤ちゃんや動きが激しい赤ちゃんを育てている人ならどなたでも,何をやっても上手くいかないことが,どんなにストレスになるか,を善くご存じです)。日々赤ちゃんを落ち着かせることができずに,陽気で楽しい歓びで赤ちゃんと向かい合うことができないため,そのお母さんは,「この子は私にダメだしする子だ」と感じてしまいます。
治療の中で,お母さんに途方に暮れてくっ付けないアタッチメント・パターンの結果が問題なのか,トラウマの結果が問題なのかを区別することができません。こと2つ結果は絡み合っているからです。私の仕事仲間のレイチェル・イェフダは,性的に弄ばれたり,レイプされたりした,大人のニューヨーク市民のPTSDの割合を調査研究しました。ホロコースト後にPTSDになったお母さんは,トラウマ体験の後に,重たい心の病になる割合が,優位に高いことが分かりました。これを説明する一番理に適った説明は,生い立ちのために,育ちが粗末になり,暴力を受けた後にバランスを取り戻すことが難しかった,ということでしょう。イェフダが気付いたことは,2001年に(訳注:マンハッタンの南部にあった)世界貿易センターの大惨事に妊婦さんのお子さんたちにも,育ちが粗末になる同じ脆さがある,ということでした。
同様に,痛みのある出来事に子どもがどう応じるかは,その子の親がその子を落ち着かせるのか,それとも,ストレスを掛けるのかに大いに関わります。私の以前の学生で,いま若年者精神科部門の局長をしている,グレン・サックスによれば,重たい火傷で入院した子でも,PTSDになるか否かは,その子がお母さんと一緒にして安心できるかどうかで,予見できる,と言います。お母さんに安心してくっ付く安心は,たくさんのモルヒネに匹敵しますから,痛みをなくすことができます。お母さんに安心してくっ付く安心が豊かになればなるほど,鎮痛剤は無用になります。
もう一人の仲間,クラウデ・ケムトブは,ニューヨ~ク大学付属ランゴーン医療センターの家族トラウマ研究計画部長ですが,911のテロリストの攻撃を直接目撃した112人のニューヨ~ク市の子どもの調査研究をしました。調査中にPTSDやうつ病になっていたお母さんの子どもは,情緒障害になる子が6倍,自分の体験に対して過剰の攻撃的になる子は11倍になることが分かりました。お父さんがPTSDの子ども達は,問題行動をすることが分かりましたし,ケムトブが気付いたのは,これは直接的なものではなくて,お母さんを介してのものだ,ということでした(イライラした連れ合い,人を避ける連れ合い,心配性の連れ合いと一緒に暮らすってことは,うつ病はじめ,心に重たい重荷を負わすことになりますから)。
もしも皆さんが心の底から安心できませんと,安心と危ないの違いが分からなくなります。皆さんが何をやっても,何の感慨もなくなりますと,危険な状況に晒されないと生きている,と実感できなくなっちゃいますから。悪い人にならなくっちゃ,ということになりましたら(だって,あんなに粗末に育てたんだから,悪い大人になる以外にないでしょ),他の人も自分を粗末にするはずだと思うようになります。皆さんが悪い大人になってもいいよ,ということになったら,何をやっても無駄ということに皆さん,なりますよ。赤ちゃんの時にお母さんに途方にくれてる人って,何をやってもダメだという毎日ですから,その後の人生の中でも何をやってもトラウマ体験,ということに相場が決まってしまいます。
赤ちゃんの時にお母さんに途方にくれてる人って
長期に悪影響がありますよ
1980年代初め,私の仕事仲間のカレン・リオン・ルースは,ハーヴァード大学のアタッチメント研究者ですが,お母さんと赤ちゃんの,顔と顔のやり取りを,生後6か月,12か月,18か月の時に,ヴィデオに撮り始めました。また,子どもが5歳になった時点と7歳,ないしは,8歳の時点で,ヴィデオに母子の顔と顔のやり取りをヴィデオに撮りました。この母子全て,ハイリスクの家族でしたから,連邦政府が示す貧困家庭の基準に全ての母子が当てはまりましたし,おおむね半分の母親はひとり親でした。
赤ちゃんが途方に暮れてお母さんにくっ付けませんと,2つの生き方になります。1つのグループの母親は,自分のことに感けて,赤ちゃんに注意を払うことができませんでした。この手の母親は,ああせい、こうせいと口うるさくて,親しみが持てません。子どもに口やかましく親しみが持てないお母さんは,自分の赤ちゃんの相手をしないか,あるいは,お母さん自身の望みに赤ちゃんが応える様にさせるか,の間をいつも行ったり来たりしています。子どもに口やかましく親しみが持てないお母さんは,一見優しそうに見えますし,あるいは,一見気弱にみえますが,現実には,人と関わる時に大人はどうすべきなのかが分かりませんから,自分の子に自分を元気づけてほしいと思っているみたいです。子どもに口やかましく親しみが持てないお母さんは,自分の子どもに心を込めてタッチすることができないんですし,我が子が途方に暮れていても,我が子をほったらかしたママですし,我が子を抱き上げることもしません。子どもに口やかましく親しみが持てないお母さんは,わざとこういうことをしないように見えます。しかしながら,実際には,子どもの息に自分の息を合わせる生き方が分からないんですし,陽気で楽しい歓びと心からの安心をプレゼントできません。子どもに口やかましく親しみが持てないお母さんは,子どもの頃に親から痛い思いをさせられたか,あるいは,親の暴力を見せつけられたか,である場合が多いんです。たほう,自分を出せないお母さんや人の頼るお母さんは,子どもの頃に性的に弄ばれたか,あるいは,親と離れ離れになったか,である場合が多いんです(が,親から痛い思いをさせられたことはありません)。
私がいつもどうしてだろうと思うのは,親が我が子を粗末にすることです。結局辿り着いたのは,我が子を健やかに育てるってことは,人間らしい,目的と意味を意識した人生の習慣の核心だ,ということです。自分のことを省みずに,我が子を傷つけたり,我が子の相手を心から歓んでしなかったりするのは,どうしてでしょうか? カレンの研究が私にくれた答えの1つは,こういうことです。ヴィデオを見ていて,分かったのは,子どもの息に合わせることができないお母さんには,子ども等は,どうしようもなく悲しいですし,不機嫌ですし,あるいは,言うことを聞かない,ということです。それと同時に,お母さん等も,赤ちゃんとのやり取りに対して,イライラして,ダメだぁと感じて,どうすることもできないと諦めているですから,その後も,粗末な育ちになりますね。
お母さんが子どもとの関わりを飽きられている場合は,その子どもの育ちはずっと粗末なママです。
ですから,いつでも,試練から生まれる大文字の希望が大切なのです。
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