世の中を守ることが大人の務めだと言います。それはヒンドゥーの教えとも重なるらしい。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p66の第3パラグラフから。
私どもの2つの大人の舞台、すなわち、成人期と若い成人期は、思春期と老年期の間にある、あらゆる別の舞台を先取りするものではありません。でもね、他の研究者が別の分類を示してくださっていることに感謝しておりますが、ここでは、私どもは、もともとお示しした舞台をもう一度振り返ります。それは第1に、このような一覧表に備わった、あらゆる人の揺りかごから墓場まで渡る論理を、お伝えしたいからです。つまり、ここで今からやろうとしている振り返りにおいては、私どもは、1つずつ、すぐ前の舞台に進めば進むほど、その前の舞台が、すでに申し上げた後の舞台にとって、なくてはならないことがハッキリしたはずです。
難しく響きます。前の舞台は、後の舞台に必要不可欠だとエリクソンは言います。どういうことでしょうか?
それは、発達には飛び級はない、ということです。ですから、最初の赤ちゃんの舞台で、主にお母さんとの繰り返しやり取りすることによって、根源的信頼感を、根源的不信感よりも、確かにできなかった場合、その人は、戸籍上の年齢が、10才になっても、30才になっても、50才になっても、80才になっても、中身は、眼に見えない心は、0才だ、ということですね。
「心はいつもエバーグリーン」は、素敵です。
「心はいつも0才」は、苦しすぎます。
その人も、周りの人も…。
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