全うで、健全で、人間らしい生き方に対するイメージが今ほど求められている事態もない。
p108第2パラグラフ。
知識を教えている内は、人間の発達にとって、一番大事な「全うで、健全で、人間らしい生き方に対するイメージ」を教えることがナイガシロになっちゃう。「全うで、健全で、人間らしい生き方に対するイメージ」を教えることは、成熟した、本当に人を大事にできる人が、ただそこにいるということによってのみ可能なんですね。私どもの文化の前の時代は、あるいは、中国やインドでは、一番値打ちのある人間は、優れてスピリチュアルな人物でした。教師でさえ、単に、情報源ではないし、第一に情報源でもない。そうじゃぁなくって、教員の役割は、人間の生き方を示すことにあんですね。今の資本主義社会では、同じことがロシアの共産主義にも言えるんだけれども、称賛され、お手本とされる人物は、他でもない、優れたスピリチュアルな持ち味のある人なんですね。
今の日本の教員は、幼稚園から大学院まで、サラリーマン。フロムがここで言うような情報伝達機関です。第一、子どもよりも管理職の方に目も心もむいちゃってます。スピリチュアル、などとは全く関係ありません。林竹二だとか、大村はまさんだとか、金森俊朗さんなどは、ほとんど例外的な存在です。でも、その例外的存在が、日本の教育の希望ですね。
私も臨床現場の多くが小学校でしょ。情けない教員が、ホント多いと思います。しかも、すぐに「正しいことを教えよう」としますでしょ。ホントにホンマに、困ったもんですよね。でもね、その人たちも初心は違った人もあるでしょうから、少しでも良い感化ができればと、日々の臨床を人間らしいものにしたいと思います。
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