自分自身を大事にすること、それは何よりも大事なこと。
p353下から2行目から。
「迷える一匹の羊」の譬えを読めば、私どもは「放蕩息子」の譬えも読みたくなります。それは、すぐ後の、ルカによる福音書第15章11節からです。 細かいところがとっても大事だと理解するためには、譬えを優しい言葉で言い換えなくちゃぁなりません。次にそれをすべて載せます。
そしてイエスは言いました。「2人の息子がいたある男がいました。若い息子が父親に言いました。『お父さん、私に下さるつもりの財産を今下さい。』と。父親は2人の息子に財産を分けました。まもなく、その若い息子はそれを全部かき集めて、遠い国へと旅立ちました。そして、その息子は道楽の限りを尽くして、全財産をスッテンテンにしてしまいました。
若い息子が財産を分けてもらいますね。これは今で言う生前贈与。税金が高い。けれどもそれは「できない話」ではない。しかし、昔のユダヤでは、生前贈与は「ありえない話」だったそうですよ。それを、この若い息子を求めたんですね。若者の挑戦、という訳ですね。
それに対して、父親は文句の一つも言わずに、分けてあげますね。若い息子が常識外れのことを求めた割には、この父親は文句の一つも言わずに、スンナリ応じますよね。今の日本では考えられないような、大人の譲歩ですよね。今の日本だったら、そんな馬鹿なことを父親は許さないでしょうし、あるいは、許したとしても、それは散々反対した後でしょうね。
なぜこの父親は、常識外れの子どもの求めに応じたんでしょうね?
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