エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

お手本が遊び相手?

2014-10-12 15:22:46 | エリクソンの発達臨床心理


 

来を守ること

2013-10-12 03:48:43 | エリクソンの発達臨床心理

  1人の子どもが、強くて、柔軟で、人のためになる良心を育むためには、日常に生きている倫理的価値を確信している1人の大人が、儀式化を行う必要がある、ということは、非常に大事な視点です。いま、日本社会が混沌としているのは、突き詰めて言えば、そのような日常生活の中で生きている倫理的価値が見えなくなっていることですし、そのような価値に確信のある大人が非常に少なくなっていることに、「原因」があると言って、間違いありません。もっと端的に言えば、揺るぎない信頼の衰退です。


 上記の1年前のエリクソンの翻訳と、さっき翻訳したフロムがシンクロしていると思いませんか。儀式化とは、子どもが自分を確かにするために、「日常を生きている倫理的価値を確信している1人の大人」が1人、必要だと、1年前のエリクソンは言います。かたや、「『全うで、健全で、人間らしい生き方に対するイメージ』を教えることは、成熟した、本当に人を大事にできる人」が必要で、それは「称賛され、お手本とされる人物」であり、「優れたスピリチュアルな持ち味のある人」だと、先ほどのフロムは言います。

 何故なんでしょうか? エリクソンとフロムは、日本人がそうするように、根回ししていたんでしょうかね? 2人が2歳違いで同時代を生きたからと言って、世代間の教育について、同様な考え方をしていたのは、根回しをしたからではもちろんないでしょ。そうじゃぁなくて、むしろ、ものの考え方、オリエンテーションに近さがあるからだと思います。

 それは、広い意味では、ユダヤ・キリスト教の文化でしょうね。2人ともユダヤ人ですしね。フランクフルトで育った時期があることも、2人に共通しています。また、ユダヤ人であるがゆえに、ともにナチスの迫害から逃れるために、アメリカに移住した点も共通しています。

 エリクソンが説く、自分を確かにする道であるアイデンティティも、フロムが言う「全うで、健全で、人間らしい生き方」も、単に抽象的な知識と言うよりも、非常に実存的課題であり、「自分はいかに生きるべきなのか?」と言う人格的真理に属する課題です。この人格的真理は、単に知識としては教えることができないんでしょうね。だからこそ、人格的真理を伝えるためには、人格的な関わり合い、やり取りが必ず必要なんでしょう。それは、ユダヤ・キリスト教の伝統では、極めてスピリチュアルな課題です。神様との関係に忠実であることが、何よりも大事になる課題なんですね。

 2人はこの共通する課題を解決する伝統的な道を、それぞれの学問領域の中で展開したからこそ、1年前のエリクソンと、今日のフロムはシンクロしたんだ、と言えるのではないでしょうか?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今の教育は、「全うで、健全... | トップ | 手紙ノート »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿