激しい怒りという闇に、気前の良さという光を見つけることができたので、ルターはルターのなれました。
Young Man Luther 『青年ルター』p.222の ブランクの後から。
単独者だけが、このように、ローマカトリック以前のキリスト教の本質を、再び口にすることができたわけですね。道義的に見て誠実なものだけが、ローマカトリックをそのままにしておいても、自分が説教することを許されるだろう、と間違って信じることができました。この思い違いは、ルターが95箇条の提題をヴィッテンベルグの教会の扉に釘付けしたときも、とどまりませんでした。95箇条の提題を釘付けすること自体は、ケンカ腰のことじゃなくて、スコラ哲学の常道でした。しかし、いろいろな事情の故に、そのことは、最後の章で詳しくお話しますけれども、行いは霊的には取るに足りないことだとルターがしたことが、経済的に反抗する支柱として利用されちゃったんですね。すべての北ドイツがローマカトリックの課税を制限する機会に飛びついちゃったわけですね。その課税は、穏健な神学的土台の上にあると思われていましたからね。この議論の中で、ドイツ人たちは、議論する声、待ちに待った声を聞き取ったんですね。
世界史で習ったことと、ちょっとニュアンスが違いますね。ルターは、95箇条の提題をヴィッテンベルグの教会の扉に釘付けしたのは、反抗的なことじゃぁなかった、というんですからね。世界史の教科書では、これこそ反抗の始まりとされてましたからね。ルターの、最初は内的な必要から生まれた気付きが、歴史的な事情、外的な事情、ある種の要請と結びついてしまった訳ですね。歴史って、面白いですね。
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