科学でも、「人間らしいヴィジョン」が必要なことが分かりましたよね。
p113の下から2行目から。
思考力と判断力は、合理的信念が証明される、唯一の経験領域ではありません。人とのやり取りの場面でも、信頼は、大事な友人関係やら、お互いに大事にしあう関係やらでは、欠くことのできないものです。相手を「信頼している」ことは、相手の根っこにある態度や、人格の核や、自分を大事に思ってくれる気持ちが、当てになるし、決して心変わりするものではない、と確信することです。このように申し仕上げることによって、私は、人は自分の意見を変えない、などと申し上げているんではありません。そうじゃぁなくて、人の根っこにある動機は同じだ、と申し上げているんです。すなわち、たとえば、その人が、人生や人間の尊厳に対する畏敬の念を持っていることは、その人自身の一部であって、変わるはずがない、ということです。
ここは、人と関わるヒューマンサービスをしている人には、非常に重要なところですね。なぜなら、ユーザーとの関係において欠くべからざるものが、信頼であることを、フロムが明示してくれているところだからですね。信頼とは、エリクソンと同様に、相手が当てになる、心変わりしない、と信頼することです。ですから、この信頼は、確信と同義だ、といっても、言い過ぎになりませんよね。
人の態度は、フリをしているわけでも、演じたものでもない、人格の香であるので、心変わりするはずがありません。でもその態度は、本当の自分との内省から出て来たものであって、ウソを演じているフリではないことが条件でしょ。内省のない人の態度は、逆に、本当の自分とはかかわりのない、多数派に同調したり、自分がお得だからしている偽装です。そういう人の態度は、当てになりませんし、コロコロ変わってしまいますから、長続きしません。上がったり、落っこちたり…。
逆に申し上げれば、状況や時間の変化とは無関係で一貫している態度を取る人こそ、内省的な暮らしをして、本当の自分との日々の対話に努めている人だって分かります。
あなたは、自分の態度が一貫している人ですか? それとも、コロコロ変わっちゃってる人ですか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます