客観的現実とは、3分の1の現実でしかないのです。いまは、客観的現実を偏って強調しがちな時代です。ですから、私どもにとっては、やり取りと実感が、何よりも大事になりますね。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p90の、第3パラグラフから。
「現実」という言葉の第2の意味は、自分が知っている客観的事実が、その事実がどんな性質があるのか(大なり小なり、ビックリするものですが)が分かる文脈に落とし込む、「確かにそうですね」と感じる一貫性と秩序です。すなわち、その関係と秩序こそ、真実の価値ですし、それは、同じ言葉を使い、世間に対するイメージも共有する人たち全てと分かち合えるものですね。「分かる」ということ(アインシュタインは、ドイツ語でbegreiflichkeit 「分かる」と呼びました)は、現実の1つの見方、アスペクトに対してぴったりくる言葉です。別の言葉でしたら、眼で見て「文脈にピッタリしている」ということです。すなわち、この言葉は、度肝を抜くほどまでに事実が織り交ざっていて、それが天与の意味を与えてもくれる、ということです。このような3つの現実と主要な発達の舞台に間にある、大事な対応関係を維持してはじめて、社会の倫理が、倫理を打つ壊しにしそうなたくさんの人たちから、倫理を守る力を最大限守ることができます。
今の日本が、ウソとゴマカシだらけなのは、子どもが育つときに、客観的事実しか教えられないで、やり取りの中で実感を分かち合う、という3分の2の現実が無視されていることがあまりにも多いからですね。
アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たち、東電、東芝、三井不動産レジデンシャル…のウソとゴマカシは、やり取り不足、実感無視の教育の賜物です。
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