発達トラウマを負わされた愛着障害の子どもには、自分を一番大事にしてくれるはずの人から、繰り返しトラウマになるようなことをされますから、一番残酷なことを毎日毎日されることになります。日本の子どもがこんなに傷つきが深く、こんなに傷ついている子どもが多いのは、自分が一番大事にしてくれるはずの人から、繰り返しトラウマになるようなことをされているからです。ですから、繰り返しですが、日本の子どもの方が、ガザやシリアで、頭から爆弾が降ってくる中にいる子どもよりも、傷つきが深いし、傷つきのある子どもが多いんですね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.213の第2パラグラフから。
もしも、あなたが、自分のことを世話もしてくれるはずだし、自分を庇ってもくれるはずだと願っている人が、あなたを怯えさせたり、関わることを拒んだりしたら、あなたはご自分が感じていることに、心の眼を閉ざしたり、無視するようになりますでしょ。第3部でお示ししたまたように(訳注:まだ翻訳していませんので、皆さんは知らないのが普通です)、あなたを世話してくれる人が、あなたに性的ないたずらをしたら、あなたは、怯えたり、頭に来たり、不満に感じたりする気持ちに、対処するのに、親に頼らずに対処する方法を見つけなくちゃぁ、いけなるなりますよね。自分が怯えている気持ちを、1人で解決しようとすれば、そこから別の問題が生じてきます。すなわち、それが、解離ですし、絶望ですし、いろんな依存症ですし、慢性的な不安発作ですし、さらには、仲間はずれにされた感じ、引きこもり、怒りの爆発が特色の人間関係です。こういった生育歴のある愛着障害の子ども達は、自分達に起きたことと、自分達が実際に感じたり、やったりすることの間に、繋がりを作ることがなかなかできません。すべてが、自分にはままならないことに見えてきます。
いかに発達トラウマが、子どもにとって苛酷か分かりますでしょ。自分が体験したことと、自分が感じたことを、普通に結びつけることができないんですからね。感じることが、実感することが、人間体験の核心であるだけではなくて、それをまとめる≪私≫の核心でもありますから、体験と実感を結びつけることができないということは、ハナから≪私≫を見失いうことになっちゃうのですからね。そうなれば、もう何が≪私≫なのか、感じていることが、自分が感じていることなのか、周りの人から伝染してきているものなのか、全く分からない、ということになっちゃいます。自分を自分でコントロールすこと等、夢のまた夢。
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