エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自由な想像力と、血まみれの想像力

2013-07-06 01:42:37 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「陽気で楽しい」のスピリットが、現実を歪めてしまうのは、いったい何故なんでしょうか?それが不思議でなりません。

 今日は、その謎解きの初めです。

 

 

 

 

 これは、この議論の初めで、私どもが(議論という通過儀礼に)「入った」ところです。その時、私どもは世論に関する専門家の言葉を引用しました。その専門家たちは、最も有能で最良の人の手になる現実的な計画の中に、ウソとウソっぽさの両方の感じが一般的にあることに、ビックリしたことを述べていました。その最も有能で最良の人たちは、超大国が携えている最も恐ろしい兵器庫を自由にできる立場でした。そこで、私どもがまず始めに問うことは、ある重要な出来事において、将来の世界を見通すイメージが、いかにして、そして、何故に、ピィピィッと来るほどリアルに感じる比類のない感じに、タップリと活動の余地を与えるのか、を私どもが見極めるのに、人間の想像力の生育歴を辿ることが役立つのかどうか、ということです。同時に、他方で、このようなリアルに感じることに対する見通しが、ウソであることが分かることにもなります。そして、この見通しによって、ウソを演じる者たちは、心の指針を奪われ、やる気を削がれ、さらにまた、仲間の血で血まみれになることも多いのです

 

 

 将来を見通すビジョンが、本当なのかウソなのか、それが問われています。それと同時に、ビィビィッと来るほどリアルな感じをどこまで持つことができるのか? それが、とても広い相手との関わりまで感じられるのか? それとも、ごく限られた範囲の関わりに限定されるのか? それも問われているのです。そして、将来を見通すビジョン、そのリアルな感じが当なのか?ウソなのか?は、想像力の守備範囲がどれだけ広いのか? それとも、想像力の守備範囲が残念ながら、狭いのか? と深い関係がどうやらあるようですね

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