人間の想像力も、極めて臨床的なのでしょう。一方では、人は、想像力のおかげで、ビィビィッと来るほどのリアルな感じを、様々なこと、様々な関わりに感じられるようになれます。他方では、そこにウソがあれば、人は、心の指針を奪われ、やる気を挫かれ、仲間の血で血まみれになることだってある、といいます。人間の想像力は、非常に二律背反です。
今日は、大人の陽気で楽しい、と、子どもの遊びの永遠の遺産について、です。
とにかく、遊んでいる子どもが成長すると、「○○してくれない」と愚痴を言ったり、リアルに感じることがお休みになった時だけしか、遊んだりしない大人になる、と言うだけなら、単純すぎる、(と感じてしまう)のはなぜなのか? もう分かりましたね。子どもの頃の遊びが、証明可能な事実や責任のあるお芝居(お仕事)という、大人がリアルに感じることに対して、境界線の外にあるように思われるのであれば、せいぜい、遊びと学びが子どものお仕事、ということにしかなりません。「お遊び」のために取っておいた余暇にしか遊ばない大人は、一人の遊んでいる子どもの足元にも及ばないのです。したがって、その手の大人は、遊びを弄んでいることが多いのです。しかし、遊びを弄んでも、大人の陽気で楽しい、の働きを先取りするものでは決してありません。この大人の陽気で楽しい、がある時、大人の能力を身に着け、リアルに感じる感覚を磨き、活動場面でのやり取りを活発にすることができます。これこそが、子どもの頃の遊びの永遠の遺産です。
大人の陽気で楽しい、には、
1)大人の能力を身に着ける
2)リアルに感じる感覚を磨く
3)活動場面でやり取りを活発にする
という働きがあることが分かります。そしてこれは、子どもの頃の遊びの永遠の遺産なのだそうです。それはなぜ、永遠の遺産などと言えるのでしょうか?
それは、こういうことです。大人の陽気で楽しい、がある時、今記した3つの働きを大人は手にすることができますよね。この3つの働きはそのものが、
1)(上記の2)子どものニーズを、リアルに感じ取り、
2)(上記の3)そのニーズに応えて子どもとやり取りを活発にして、
3)(上記の1)子どもにも、陽気で楽しい暮らし、すなわち、ピチピチ、キラキラ生きる人生をプレゼントするという、大人の能力を身に着ける
ことだからです。そして、その子どもが大人になった時、身近な子どもにも同様のプレゼントができますから、家庭の中で、地域社会の中で、国の中で、世界の中で、もしかしたら、宇宙の中で、ピチピチ、キラキラ生きる人生がずっと続くことになります。だからこそ、大人の陽気で楽しい、の3つの働きは、永遠の遺産(the lasting heritage)なのです。
この点、永遠の宝物(the lasting treasure)である 根源的信頼感(基本的信頼感)と同じです。大人の陽気で楽しい、は、根源的信頼感に対応する大人バージョンとでも言えるものです。
ここから考えると、ピチピチ、キラキラの人生を子どもにプレゼントするためには、大人の方に「大人の陽気で楽しい」がなくてはならない、ということになります。
1)「○○してくれない」と愚痴を言ったり、言い訳が上手だったりする大人、
2)長時間労働やサービス残業をせずには済まされない雰囲気の中で働く大人、
3)群れる大人
はゴロゴロいるのに、今の日本の家庭や学校に、「大人の陽気で楽しい」人が、果たしているのでしょうか?
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