歴史の教訓の一例として 山崎豊子さんから
発達トラウマ障害(DTD)の子ども。公衆衛生上でも、社会福祉の上でも、学校教育の上でも、最大の問題だ、と考えますが、ニッポンでは、まだ、発達トラウマ障害(DTD)の存在すら認識されていないのが、悲しき現状です。残念です。発達トラウマ障害(DTD)の子どものは、特に、継続的に、誰かが、僕を知っていて、大事に思ってくれて、大好きでいてくれる、という自信をプレゼントすることになる、陽気で楽しい時間をプレゼントしてくれる大人が必要です。
The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.352の第3パラグラフの7行目途中から。
誰かが自分を大事に思ってくれているという自信がなかったら、私どもは何かができるという主体性の感じは育ちません。その感じがなければ、私どもは自分の意見をハッキリと口にすることもできません。「私はこう信じています。これこそが私が依って立つところです。これが私が身を捧げようとするものです」。自分を大事に思ってくれる人のこころにも、頭にも、大事に思ってもらえていると安心している限り、私どもは、山に登ることもできますし、砂漠を横断することもできますし、計画が終わるまで夜を徹することもできます。子ども達でも、大人達でも、信頼する人たちの為、価値があると認めている計画の為でしたら、何でもやろうとするものでしょ。
かくのごとく、信頼されていること、大事に思われていること、その感じが、心の唯一のエネルギー源です。誰かが自分を大事に思ってくれているという自信が、心の唯一のガソリンなんですね。
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