歴史の教訓の一例として 山崎豊子さんからなんで、今の日本には、こんなにウソとゴマカシが溢れているのか? 儀式化 ≠ 神経症(不安障害)!?2013-07-27 01:37:10 |&n......
神学のお話は、さほど人気がありませんでしたね。でも、私自身が大切にしていると ころなので、また折を見て、神学の分野の言葉を取り上げたいと思います。4日ぶりに
、 Childhood and Society 『子どもの頃と社会』の至言に戻ることにしましょう。p.254から。
自分が大事にされているという気持ちを失わずに、自分のことをコントロール出来ているという感じからは、善意と誇りという感じが、生涯残ります。自分のことを自分ではコントロール出来ず、知らない内にコントロールされているという感じからは、人も自分も疑う気持ちと、自分はダメたぁと恥じる感じが、一生涯いつまでも付きまといます。
これは、エリクソンのライフサイクル論で、2番目の段階、幼児前期と言われる1才半くらいから3歳位までの子どもの気持ちを言ったところです。普通人の記憶に残らない体験と、その時の気持ちを明確にしてくれているところですね。
そのような幼子に対して、「大事にしよう」と思って関わるのか? それとも「どうせ分からないだから」と軽く扱って関わるのか? 普通はあまり意識しないで、関わることの方が普通ですから、大人の自分の態度がどうなのか、考えずに過ぎてしまう時期かもしれませんね。
ところが、赤ちゃんの時期の関わりが、生涯消えることのない感じを幼子に与えることになるとしたら…?
いま、発達トラウマ障害(DTD)の子どもが日本中に溢れていて、その多くが、あらゆる形の依存症、うつ病、統合失調症、境界性人格障害はじめ、いろんな人格障害などになっちゃってます。それは、親、保育士、教員、医者、心理士、福祉施設職員らが、子ども達との関わりのおいて、子どもたちが、自分のことを自分ではコントロール出来ず、知らない内にコントロールされているという感じを押し付け続けているからです。かくして、ニッポンは立派な精神障害大国になっちまっています。津久井やまゆり園の「犯人」も、その手の、押しつけがましい大人たちの関わりの犠牲者の一人でしょう。
それは、大人たちが、赤ちゃんの時期や幼子の時期に、この子どもを、「どうせ分からないんだから」と、大人達に都合よく、コントロールしている賜物です。
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