母親と言ったら、温もりに満ちた存在だと思いたい。しかし、フロムが示してくれた母親は真反対ですね。子どもに敵意を持つ母親。心が寒々してきますよね。でも、子どもや母親と面接する日々を過ごしていますとね、少なくない子どもが、そのように母親に育てられていますしね。また、少なくない母親が、子どもに対する敵意があることに気付かずに子育ていてるんですね。そういう子どもは、いろんな形でSOSのサインを出しますね。
私は、子どものころにTVで見た映画を思い出しますね。病気のためか、身体が不自由なのか、2階の個室に寝かされている中年女性。その世話をするのが、その姉妹なのか分かりませんが、精神を病んだ、中年女性。精神を病んだ女性が、2階で寝ている女性の食事の準備をして、部屋に持っていく。ベットでその食事の蓋を取ると、料理の上に死んだネズミが乗っている。もちろん、ベッドの女性は、その食事にびっくりしてしまいます。その反応を見た、精神を病んだ女性が、今でも耳に残るような、高笑いをする。なんて意地を悪いんだろう。私はそう思いましたが、多分それ以上の何かを感じていたんでしょうね。我が子に敵意を抱いている母親に育てられている子どもの気持ちを、この映画は実に見事に描いている、と今では、ハッキリ言語化することができますね。
今日はp57の第2パラグラフ。
この自己中の性格を分析した理論は、神経症の「無私」を精神分析家が経験したことから生まれたものなんですね。「欲がないこと」は、神経症の症状の一つで、少なくない人に見られます。普通は、この「欲がないこと」の症状で困っているんじゃぁ、なくて、この「欲がないこと」に関わる他の症状、たとえば、落ち込んだり、疲れたり、働けなかったり、失恋したり、・・・で困ってるんですね。「欲がないこと」だけじゃぁ、「症状」だとは感じません。それは、そんな人々が自分を自慢する、一つの取柄です。「欲がない」人は、自分のためには何にもほしがりません。この人は「他者のために生きいる」けと、自分のことを大事とは考えない事を誇りにしています。その人が困惑しているのは、欲がないけども、自分がはっぴーじゃぁ、ないってことと、一番近しい人たちが全然満足してないってこと。分析をしていくとね、こういう人の「欲がないこと」は、他の症状と切り離せるものじゃぁなくて、症状の一つ、いや実際は、最も大事な症状なんですね。こういう人は、人を自分を大事にできないし、何かを楽しむこともできないんですね。こういう人は、人生に対する敵意に満ちていますし、「欲がないこと」という仮面の裏側に、ぼんやりとはしていても、強烈な自己中が隠れているんですね。この手の人が癒されるのは、「欲がないこと」も、他の症状の加えて、症状なんだと解釈した場合だけです。そうして初めて、物を作り出さないこと、それは欲がないことと他の悩みの種の根っこにあることですが、それも癒されます。
欲がないことは、一見高潔な人物を思わせます。しかし、それが神経症の症状の一つと言うのは、驚きですね。でも、欲がないように見えることが、人生に対する敵意である場合があるんですね。高潔で欲がない人は、欲がなくても、非常に生産的ですね、ハッピーですね。でも、人生に対する敵意を隠し持っている場合は、欲がないことは、何かを作り出したり、ぬくもりのある関係を結んだりできないので、ご当人も、周りの子どもも不幸ですよね。
欲がないことも、この場合は、治療することが必要になってくるわけですね。
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