今日は、今現在の、被災地の心理的支援が、なぜうまくいかないのか? を考える5日目。
1日目は、無知な「専門家」が、自分の勉強不足は棚に上げといて、昔からの自分の研究の枠組みにこだわるあまり、発達トラウマの苦しむ多くの子どもたちがゴマンといる現実を無視している、と申しました。
2日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもが溢れるくらいいるのに、いまのニッポンの学校教育制度は、その子ども等の傷に塩を塗りかねないものだ、と申し上げました。
3日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの心理的支援を担当する心理職の配置が少なすぎる、しかも、年次契約がほとんどである、など、心理職の制度が遅れていると、申し上げています。
4日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害が重たい子どもほど、その母親も、家族も病んでいる場合が多いけれども、「重度の」母親面接までするゆとりがサイコセラピストにないかもしれない、というお話でしたね。
今日5日目は、おバカな教育委員会という問題です。これは、大川小学校の教育委員会や中学3年生自殺事件の広島の教育委員会の問題に限ったことではないのですね。教育委員会の問題は何度となく、取り上げてきましたね(大川小学校の「事件」には、今の日本の学校教育の病理が現れています、「逃げる母親」と「おバカな教員委員会」、ノモンハンと大川小学校の間 ハンナ・アーレント 最終版、お役所仕事という狂気 再改訂版ほか)。
今日は、細かいことは繰り返ししません。今日は一点だけ取り上げます。それは、学校と教育委員会の口裏合わせです。私も、仲の良い校長さんや、信頼できる教育委員会の職員さんもいますので、全部が全部という訳じゃぁないんですね。でも、日本のムラ社会の悪しき伝統に侵されている学校や教育委員会がある、のも事実です。その特色が口裏合わせなんですね。
この口裏合わせは、だいたいが今までの教員仲間内に都合の良いことを、やり続けるために、真実ではないことでも、「まぁ、こういうことにしときましょう」とばかりに、事実をねつ造することです。学校が、教育基本法の中核的理念の「人格」や、教育の核となる「真理」、そして、その組み合わせである「人格的真理」から、真逆にぶれるウソとゴマカシです。
しかし、それだけではありません。口裏合わせは、アンチ民主主義だということです。アメリカの個別教育計画での民主主義的で、オープンな話し合いとは真逆の、民主主義に対して冒涜的で、自分の組織以外にはクローズな、自己中心的なものが、この口裏合わせです。大川小学校の教育委員会や広島の中学3年生自殺事件の教育委員会のやってることを見れば、火を見るよりも明らかです。
私どもは、学校そのもの、教育委員会そのものを、民主化していくことが是非とも必要です。それは、オープンな話し合いを日常化することです。
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