ルターは、いろいろ批判しなくてはならない点もありますけれども、もちろん、従う人として、尊敬に値します。
Young Man Luther 『青年ルター』p.238の、第3パラグラフから。
普通の人は、このように、普通の諸侯たちに負けました。ルターが最初に講義で言ってたことに見合うやるべきことのほとんどを失っちゃいました。ルターと同じような祈りの人で、ルターがその魂をローマカトリックの権威から解放した人が、支配層をなす家族、経済活動、(土地の所有法が決まったので)諸侯の領地に支配的であった宗教的信条を受け入れざるを得ませんでした。プロテスタントの立場から、ルターは「教会会議」が宗教団体を統治するものとして組織しました。
こうして、ルターは、最初に講義の中で「言ってたこと」とは違う現実を受け入れました。「祈りの人」としては、もちろん、不徹底極まりありません。しかし、「それでもここに立つ」と言ったルターを責められるだけの資格のある人は、そうそういないだろうと、私は考えます。
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