エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

≪いまここ≫を生きてね

2015-11-04 07:56:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
「神様→私」の眼差し=「私→神様」の眼差し
  「悪い良心」ほど恐ろしいものはありませんね。私は、悪魔とは、この「悪い良心」に「人間を上下2つに分けるウソ」が入り込んだものだと、確信しているくらいですからね...
 

 

 私どもは、≪いまここ≫を感じて、≪いまここ≫を生きられることが、イキイキ・ピチピチ生きていくうえで、なくてはならないものなんです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p88の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 

 

 ここでまた思い出しますのは、赤ちゃんと、あかあさん(大事な母親みたいな人)が、人生の始に、お互いに相手を価値ある存在と認め合うことには、一生涯に渡る力がある、ということですし、母子が認め合うことが、「よしとしてくださり、平安を下さる」「究極的他者である神様」に投影される、ということです。ここからもう一度、私どもはいくつかの発達段階を辿って、特定の言葉を話し、≪私たち≫になる父親、母親、姉妹、兄弟が、共に自分を、一番ハッキリとした実感を伴って、確かにさせる方法を研究することもできましょう。しかし、ここでも、リアルな実感のある現実という考えそのものを改善しておくことが必要です。そのハッキリとした実感を伴う現実は、最初に文句を付けときましたように、私どもが慣れっこになることの「外」とみられることが多いんですね。

 

 

 

 

 今の時代は、証明可能なことが、「正しいこと」の基準です。しかし、証明可能であっても、ですから、理解はできることであっても、何となく違和感があることってたくさんありますね。たとえば、教育心理学の実験でやることは、「それはそうかもしれないけれど、本当に、現実に、そういうことってあるの?」と感じる場合がよくあります。その点、臨床をしているエリクソンは、実感を、リアルに感じることを大事にした訳ですね。「≪私≫という感じ」、≪いまここ≫とは、リアルに感じる実感の塊だからです。そしてそれこそ、イキイキ・ピチピチ生きるための要でもあるからです。

 今日、あなたも、≪いまここ≫を生きて下さいね。

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