≪真≫とはいったいどう言えば、いいのでしょうか? 果たして、言葉で言い表せるものなのでしょうか?今日はp.17の第3段落です。
意味がたくさんあって大変ですけれども、その答えは勝手気ままなだけかもしれません。大事なことは、私どもが≪真≫について話をするときに、「一つになる」って一体何を話しているのか分かっている、ということです。≪真≫とは、実際に生きる、という課題に対する、「あっ、なるほどな」と思えるような答えなのか? それとも、「馴れ合いで一緒にいる」と呼べうる未熟な≪真≫なのか? この後の数ページにおいて、前者だけを≪真≫と呼びます。後者の≪真≫のお話からはじめましょうか。
≪真≫と馴れ合い。やっぱり、「一つになる」といっても、馴れ合いとは違うものらしい。≪真≫に対する私のイメージを申し上げれば、 “ 時間と規律に厳しいのに温もりを感じます ” 、“ とっても優れているのに謙虚の塊のようです ”、“ ご自分が損をしても、私との関係に誠実であろうとしてくれます ”、ということですね。そんな≪真≫の人に、人生で一人でもいいので出会うことができたら、もう「奇跡」なのかもしれない、と思うほどです。涙が出てきますね、おのずから。もちろん、嬉し泣きです。男泣きです(女性の場合は何と呼ぶのでしょう?)。「あ~っ、こんな人が実際いてくれるんだぁ~」。
ですから、馴れ合いとは似ても似つかないものです。もちろん、フロムがはっきり言ってくれるはずです。
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