エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自分を自分でいさせてくださっているもの

2014-05-11 05:39:42 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
恵みであると同時に、呪いである眼差し お母さんの眼差しの偉大さ

 赤ちゃんが視覚を通して、お母さんとの関係で体験すること、自分がしてもらっていることから、さまざまな感覚、さまざまな感情、その空間と時間、そして、お母さんのイメージを結びつけ、それ...
 

≪ぬくもりのある眼差し≫、子どもと係るものにとって、これ以上に大事なものはありません。意識してできるレベルの≪ぬくもりのある眼差し≫もあるのかもしれません。しかし、私が感じる≪ぬくもりのある眼差し≫、それは体からにじみ出るものって感じです。意識してできることを突き抜けている…。子どもはすぐに≪ぬくもりのある眼差し≫に気づきます。黙っていても、初めて出会った時でも、≪ぬくもりのある眼差し≫にはすぐに気づきます。それが不思議でなりません。だって、赤ちゃんでも、気付くんですからね。

 その根っこには、自分との対話、自分の最深欲求との対話があります。それは「自分を自分でいさせてくださっているもの」(前掲書、p.58)との対話なのかもしれません。≪ぬくもりのある眼差し≫は、したがって、対話に対話を重ねた中から、おのずから生まれてくるものだ、ということができます。

 ぬくもりのある眼差しの反対は何でしょうか? なんか≪冷たい眼≫ではない感じです。私はあえて、≪ぬくもりのある眼差し≫の反対は、「忙しい眼差し」と呼びたいですね。その特色は、焦点が定まっていません。「早くして」という声が聞こえてきそうです。次にやらなくちゃならないことに、気が行っちゃっている眼ですからね。そして、言い訳がいくつも聞こえてきそうです。「だって、しょうがないでしょ」、「いろいろやんなくちゃならないんだから」、「私が稼がなくちゃならないんだし…。」…。でも、人間に本当に必要なことって、そんなにたくさんあるのかしら?

 自分との対話が足りないんじゃないのかな? 自分を自分でいさせてくださっているものに、まだ気づいてないだけじゃないのかな?  忙しくって、静かな時間をないがしろにしているのじゃないのかな?

 どちらを選ぶのか? これも選択でしょうね。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人と人とが一つ(人つ?)に... | トップ | 男泣きするほどの≪真≫ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿