人を大事にする技術でも、それを身に着けた行こうとしたら、それは人生修行にも似た、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」と言う問いに問いに応えて生きたい、と言う最深欲求と、自ずから繋がるものらしい。
p100の13行目途中から。
今どきの人にとって、訓練ほど学びやすいものはなんにもない、と考えることもあるかもわかりません。今どきの人は、非常に訓練を受けたやり方で、厳格に型がきまっている1つの仕事を8時間してませんか? でもね、現実は、今どきの人は、仕事の時以外は、ほとんど自分を鍛えることをしなさ過ぎ、なんですね。仕事をしていない時、今どきの人は、ブラブラしていたいし、ダラダラしていたいし、もっと聞こえの良いいい方をすれば、「リラックスしたい」ってわけですね。このダラダラしていたい、まさにその気持ちが、人生の型が決められていることに対する反動なんですね。1日8時間の仕事で、自分のエネルギーを、自分自身の目的ではないものに、自分自身のやり方ではないかやり方で、お仕事のリズムのよって自分に求められるとおりに、強いられていますから、人は反抗しますし、その反抗の仕方も、幼稚なわがままになっちゃうんですね。かてて加えて、権威主義に抗して、あらゆる訓練に対して、理不尽な権力に強いられた訓練に対して、自分に課された理にかなった訓練に対してまでも、強い不信をもちがちです。ところがですよ、こういった訓練がありませんと、人生は落ち着きませんし、混沌としますし、集中力を失います。
フロムもよく人間のことを知ってますね。自分のことを言われている感じがしますよね。
権力批判は必要です。仕事の義務感から解放されることだって必要です。でもね、それがすべての訓練を拒否する態度になったら、人生は、オリエンテーションを失ってしまいます。そのオリエンテーションは、訓練によって身に着けるものだからです。それは、エリクソンの文書をすでに読んで下すっている、このブログの読者の皆さんには自明なことでしょうね。
日々の訓練がね、私どもに確かな自分をプレゼントしてくれる、それを毎日の生活で確かめてくださいね。
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