アルコール依存症になりやすいアカゲザルたち人生って 悲しいね 倫理がバラバラだと、自分はブラブラ! 改訂版 最も大事なものは、人の心、そこに根差すスピリット。 p241ブランクの後......
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今宵のもう一本は,Identity Youth and Crisis 「神様と一心同体 青年のころ と 神様と一心同体のままでいられるのかどうかの分かれ道」から,p.220,第2パラグラフから。
しかし,(訳注:通常の意識では,その存在さえ気が付かない,意識の主体である)≪私≫とは,自分がいまここに生きていることを言葉で確かめることです。私どもは,自分を話し言葉で確かめることに,ピッタリと合わせて,意識の中心に,自分は生きている,と実感するわけです。その意識(訳注:である≪私≫)が自分の経験世界の中心にある,という実感もあります。≪私≫が意識の中心に生きている経験世界の中で,自分は,≪私≫が神様と一心同体になって,確かにされることが一貫するわけですし,自分には,鋭い感性があるし,自分は見て判ること,自分が考えていることを話し言葉にできるわけです。…。
ですから,私どもは,≪私≫に目覚めてないと,見ても判らず,考えているようで,自分では全く考えなし,ということもわかりますね。鋭い感性がないですから,自分の言葉と実感も,ピッタリせず,また,ずれてることさえ実感できないからですね。
この話し言葉と実感を繋ぐのも,知的理解を遥かに凌いだ,体験的・体感的・人格的な叡智ですね。これがない単なる知的理解しかないと,東大教授さえ,論文ねつ造に走る訳でしょ。
そして,ヘブライ語で,話し言葉と出来事がともに,ダーヴァールであるように,実感を話し言葉にすることは,出来事になることと一体です。
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