観察単位は、個人ではなく、世代間関係で見るということは、臨床心理の基本中の基本です。家族心理学だけのものじゃぁない。愛着障害の子どもとその母親を相手にすることが多い私などは、この視点を欠いたら、1時間も仕事ができませんよ。
p229最終行から。
ここで皆さんに思い出していただきたいのが、コンラッド・ローレンツの研究です。彼の研究は、彼らが発展させた「生き物の間柄」の研究でして、原理的に、特定の動物の人生の巡り合わせを、観察者が自分の人生の巡り合わせを生きている同じ環境の一部とするものであり、その上で、その動物の役割のみならず、観察者自身の役割も研究して、しかも、洗練された自然主義的調査の場で自分で工夫したことからハッキリ分かったことに賭けてみることです。もう1つ思い出していただきたいのが「野生のエルザ」です。エルザは、ケニヤに住アダムソンさんの家で育てられた「拾いライオン」です。そこでは、お母さん変数はコントロールされていませんでしたが、お母さんはエルザの面倒をよく見ました。アダムソン夫人とご主人は、大人になったエルザをライオンの群れに戻すことに責任を感じまして、草原にエルザを戻すことに成功したんですね。草原でエルザはパートナーを見つけて、子どもを儲けたのだけれども、時々人間の育ての親のもとに(子連れで)里帰りしたんですね。私どもの文脈では、エルザが、(実際に、非常に危機的場面でも)「ダメよ、エルザ、ダメなのよ」という言葉に反応できた「道徳」がエルザに埋め込まれていたなんて、本当かしらと疑わざるを得ませんよね。いくら、その「ダメよ、エルザ、ダメなのよ」の言葉が、信頼した人間が言ったものであってもね。それにしても、この埋め込まれた「道徳」を持ちながらも、育ての親に対して尽きぬ信頼を抱いていたとしても(そのエルザが育ての親の人間に対して抱いていた信頼は、その子どもたちには伝わっていたんですが)、エルザは野生のライオンとして生きることができたんですよ。しかし、エルザのパートナーのライオンは一度たりとも、アダムソンさんのとこに現れませんでしたね。その旦那さんライオンは、エルザの人間の家族のことは、あまり知りたいとも思わなかったんだと思います。
本当に素晴らしいですね。人間と、鳥やライオンとの間にも、これだけの信頼関係ができるなんてね。ローレンツと鳥の間の関係は、刷り込み・インプリンティングの話で、「必ず」といっていいほど、教育心理学のみならず、臨床心理学の教科書にも出てまいります。その不可逆的な刷り込みは、信頼関係の一つなのでしょう。それにもまして、エルザのアダムソンさん夫婦に対する信頼が素晴らしい。まるで人間の子どもと同様に、子連れでお里に帰ってくるというんですからね。その上、人間の言葉を「理解」して、その言葉に応じるんですからね。ハーロー教授とあのサル君たちとの関係とは、比べ物になりません。
こういう動物と今どきの人間の、どちらがケダモノなのか、分かりませんね。
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