ガザの弁護士ラジ・スラーニさんは、お話の中で、弁護士になって間もなく、イスラエルに逮捕され、刑務所の独房にぶち込まれた後、激しい拷問を受けた、と言います。しかし、その拷問とは、眼をくり抜かれたり、手足の骨を折られることではありませんでした。
スラーニさんは、しかし、イスラエルから受けた拷問は、「毎日毎日何度も自殺したい、と思わせるけれども、相手の身体には傷一つ付けない」拷問だった、と振り返っています。それは、「度を越さない、身体的心理的抑圧 moderate physical and psychological pressure」と呼ばれるものです。
その詳細は今のところ分かりません。「毎日毎日何度も自殺したい、と思わせるけれども、相手の身体には傷一つ付けない」拷問と聞いて、私は日本社会のことを思った訳ですね。
いま日本には、加藤周一さんが「閉塞感」と呼んだ感じが瀰漫してますでしょ。「個人の力はゼロに近い」から、”なにやったってしょうがない”、”明日は明日の風が吹く”とばかりに、「声を挙げない」こと、泣き寝入りが多い。それが結局、日々の生活が良くなるどころか、人間らしい暮らしから、次第次第に離れている現状を生み出していますでしょ?
具体的には、だんだん貧乏になり、働く時間は長くなり、地域や職場で、自分の意見をハッキリ言うことをはばかられる雰囲気が、次第次第に強まってますよね。自殺者が毎年 十年以上も30,000人以上も出ている社会が日本です。空爆を受けたガザの死傷者よりもはるかに多い人々が、毎年「自殺」させられてんですからね。これは日本の社会が、日本人ひとりびとりに対して、一種の「度を越さない、身体的心理的拷問」を日々実行していることだと、私はキッパリ考えますね。
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