真黒黒の時代の空気、としての「バッシング」バッシング。何時頃から国語辞典に乗るようになったんでしょうね? 20年前の国語辞書には載っていませんから。インターネットで検索を掛けると「叩くこと」、「手厳し...
今晩は、「陰になった私」の第2夜。
自分が認めない部分の「私」は、幼稚なままになりやすい、と言うお話。
本当にそんなことって、あるのかなぁ?
私は、一番分かり易いのは、エバッタ態度だと考えています。エバッタ態度については、繰り返しこのブログでも話題にしてきましたよね。たとえば、「エバッタ態度」は子どもにとって、大迷惑!。たとえば、ヒューマンサービスの担い手が堕落するのは、この時。たとえば、日本人の組織の「いじめ」と「無責任の体系」から脱却するには… パートⅡ。他にもいろいろ書いてきました。
エバッタ態度の人は、何故、そうなのか? エバッタ態度は「偉そう」なので、その見てくれに騙されて、「偉い」と誤解してしまう場合がありますね。でも、エバッタ態度は、「偉そう」であっても、「偉い」では決してありませんね。中身がないからです。
それは、赤ちゃんの時以来、お母さん始め、周りの大人から、献身的な世話をされて来なかった人なんですね。心と心が響き合う関係を、プレゼントしてもらえなかったからなんですね。心からの真実さで、理解してもらってこなかったからなんですね。つまり、自分の下に(under)、意識的に立ってもらう(stand)ことをしてもらえなかったから。赤ちゃんの時に発達危機が上手く乗り越えられてない。魂は赤ちゃんなんですね。しかし、その自覚はない方が、普通です。無意識の暴力に晒されがちになりますよね。心優しい大人が進んで下(under)になり、自分を上にして(敬って)くれなかったから、無意識に、オンミズカラ、上に立とう、ってな訳なんですね。それがエバッタ態度になる訳です。
ですから、エバッタ態度の人がいたら、それは赤ちゃんの頃から、あんまり大事にされて来なかったから、今も魂は赤ちゃんのマンマだ、ということになります。迷惑な話ですね。
しかも、それだけではないんですね。
エバッタ態度の人は、弱い立場の人を相手にする仕事を、無意識に選びがちだということです。赤ちゃんが、弱い立場の人の世話ができるはずがありませんでしょ。教育、福祉、医療などの仕事に就いている人の、少なくない数の人に、この傾向が強くありますよ。サービスや教育を受ける人は、大迷惑ですね。ですから、こういう人たち向けの心理教育は欠かせません。
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