光の音が聴こえてくる…。
ルターは、心の中では「ヨォーィ」となって、「ドン」を待ってるのに、世に中は、なかなか「ドン」とはならなかった…。
Young Man Luther 『青年ルター』p.232の第2パラグラフから。
今まで習慣になってた仕事ができなくなって、ルターは、自我が脅かされている2つの脅威について、心の耳を澄ませました(お祈りしました)。2つの脅威とは、ルターの心の中にある「それ」と、自分の周りで暴れている人たちです。ヴァルドブルグからの手紙で、ルターは、修道院生活での責め苦の実験を乗り越えて一人前になり、指導者として力を発揮する機会を不意打ちで阻まれて、いろんな願いに、いかに心乱れていたかを、率直に記しました。身動きが取れない中で、食事とビールを楽しんだことは、ルターの便秘症を悪化されましたね。すると今度は、ルターは下半身に対して、悪魔のようにこだわるようになりました。修道院に入って解放された、あの「誘惑」が、大人になって、民族の指導者になるかもしれなくないという段になって、ルターを捉えて放さなかったわけですね。
「誘惑」恐るべしですね。しかし、それが恐ろしいのは、よく見てないからなんですね。交通事故みたいですね。
ルターは修道院に入ることで、その「誘惑」を良く見ることになったのなら、問題はなかったはず。しかし、そうではなくて、修道院生活は「誘惑」を見ない場を作ってしまった訳ですね。
誠実の向き合う、という繰り返しがあれば、この「誘惑」も、恐れるに足りません。
大事なのは、いつでも何度でも、心の耳を澄ませて見ることです。ですから、私は次のように提案してんですね。
心の耳を澄ませて見れば・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます