バッシング。何時頃から国語辞典に乗るようになったんでしょうね? 20年前の国語辞書には載っていませんから。インターネットで検索を掛けると「叩くこと」、「手厳しく非難すること」、あるいは、「過剰に、あるいは、根拠なく非難すること」などと出てきます。
これは、ヘイト・スピーチと一緒で、時代の雰囲気なんでしょうね。それは「閉塞感」と表裏一体なんでしょう。「閉塞感」。まるで、牢屋か檻の中にでも入れられたみたいで、外に自由に出られない。不自由さを感じる。でもそれだけじゃないでしょうね。一番苦しいのは、見通し、ヴィジョンがないことでしょう。苦痛では、「夜が明けるまで」と分かっていれば、我慢しやすいでしょ。待ちやすいでしょ。だけれども、いつ終わるのか分からない苦痛ほど、耐えがたいものは、ない。そうすると、怒りや不満がやり場に困ってしまうんでしょうね。ですから、その怒りや不満のやり場になるのが、バッシングの相手なんでしょう。
この怒りや不満が「人間を上下2つに分けるウソ」と結びつくとき、暴力的になるんですね。当今流行のバッシングやヘイト・スピーチは、まさに「人間を上下2つに分けるウソ」と結びついていますから、それだけ暴力的です。
北星学園大学が、慰安婦問題を記事にした元朝日新聞記者の非常勤講師を「やめさせろ!」と、バッシングを受け、脅迫状まで届いたという。理事長を務める大山先生も、さぞかし心を痛めているだろうと思います。でも、ソフトでも堅固な大山先生のこと、パッシングにもメゲないと信じます。
また、アマゾンのレビューも、場所によっては相当バッシングだと思うところがあます。私は「竹内まりやさん」がデヴューの時からファンですが、アマゾンの竹内まりやさんの作品のレヴューは、残念ながら、作品をバッシングするものが溢れ、しかも残念なことに、それが人気があんですね。私は、竹内まりやさんに対する評価がいつでも五つ☆ですから、私のレヴューの人気も、非常に辛口です。竹内まりやさんのように、誠実に、家庭も仕事も両立してきた人に対して、そして、心を込めて作っているのが手に取るようにわかる作品にも、バッシングがあるんですから、やっぱり、世の中の雰囲気は、真黒黒と言うわけですね。先月末の、小熊の論評の隣の、論壇時評のイラストと一緒ですね。
日が昇るのを待ちましょうや。
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