#歓びが迸る人生の秘訣 #全ては掌の中 #相手の音色を響き渡らせる創造の楽器の歓び
「発達トラウマ障害」Enpedia をご参照ください。 不思議な声が,またまたまた聴こえましたので,identity and the life cycle ......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,第2章第3節「毎日礼拝」の件が終了。
第4節「毎日礼拝の復権」も、昨日終了。
今朝は,p.121のタイトルの後,13行目から。
中垣に関する様々な見立て(壁にかかったいくつかの風景)
私がこの本の初めに,1人の子どもの積み木遊び(歓び合いセラピー)と,いくつかの遊び理論と,を取り上げて,最初に出した本(訳注:『子どもと仲間たち』)で、“ 遊びこそが、境がハッキリしている「小さな自分の世界」に人が投影する唯一のモデルは,遊びの舞台の遊びだと申し上げた結論を,少しも変える必要がありません、という結論に達したのであります。その「小さな自分の世界」は,自分をグルっと囲う目には見えない壁にかかる数々の心のスクリーンを配置することです。この心のスクリーンこそ,神意を目に見える物語にしてくれるものです。子どもの遊びの中に,私ども夫婦は,聖書の神様が創造する創造の夢幻の設計図を見付けました。その創造の夢幻の設計図は,のちのち,結界,「広がり」(目に見える形に広げるのは,大切なことを一層ハッキリと理解するするために、広げてみる訳です)、舞台,あるいは,青写真を使って,進化にまつわる,歴史にまつわる,拵えることにまつわる,体面にまつわる発達を,イメージして,そのイメージを出来事にするキリストに首根っこを掴まれるためです。しかし,さらにご指摘したいのは,あの恐怖、不安,恐れです。あの恐怖、不安,恐れは,人間の大小にかかわらず,須らく人間をてんてこ舞いにします。人間が誰でもてんてこ舞いになるのは,待ちに待った聖書の神様からの息吹が静かに囁いてくれたおかけで心からの自由にされた、その自由が,「それはダメでしょ」と心の中で叫ぶ禁止の号令のために息の根を止められた,と気付く時でしょう。
エリクソンは自分の心を誠実に見つめ続けていたんでしょう。
でなければ,これほど機微に至る記述は難しかったでしょう。
聖書の神様は叫びません。とっても静かに囁く音です。独特の澄み切った、微かな音。
禁止の大号令があると、残念ながら、その聖書の神様の微かな音はかき消されてしまいます。
私どもは静かな心で居たいものですね。
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