エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

日本の公教育の病理 その7 自分を売ったら、あかん!

2014-12-07 11:56:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 日本の学校が「言ってること」と「やってること」が真逆の「ウソとゴマカシ」集団になってることは、今日のエリクソンではないけれども、「ビョーキ」そのものでしょ。

 それは、根本的には、組織を超越する価値、「教育」や「憲法」、「子どもの権利条約」に奉仕することを忘れているからなんですね。ですから、「組織」そのものが自己目的になっちゃいますし、「神」の地位を簒奪することにもなるんですね。それが偶像崇拝です。「お飾り」ですね。この「偶像崇拝」、そう言われても、ピンときませんでしょ。それは「神」でもないことを「神」とすることなんですね。そう言われても、まだまだ、ピンとこない人が多いでしょうね。組織とお金以上の価値を知らないのが大半の日本人ですからね。

 これを理解していただくために、その負の側面をご紹介しましょうね。この「偶像崇拝」以上に恐ろしいものは、この世の中には一つもありませんね。「偶像崇拝」は、必ずといっていいほど、人間の持つ「ケダモノの部分」が湧き出すからです。具体的に言いましょう。大川小学校の「事件」、70人以上の子どもが犠牲になってるのに、それがあたかも「自然災害」であるかのように、言ってのける教育委員会。それは、東電が福島原発の「事件」を、「自然災害」と呼んでいるのと、全く同じ論理ですね。そして、それは、その「事件」で犠牲になった人たちに対して、口先では「哀悼の意を表します」と言っても、組織防衛のための「ウソとゴマカシ」連発の「隠ぺい体質」丸出しである点でも共通してますでしょ。

 これらは、旧日本帝国の権力者たちが、その無謀で、しかも、虫けらのように兵隊を見殺しにした作戦を続けていったことに対して、誰も「責任者がいなかった」のと全く同じなんですね。戦後民主主義を経ても、人間性の点では、いまだ「変化なし」なのかもしれませんね。東条英機でさえ、戦争を選択したのは、当時の「空気だった」と空気の責任にしてんですからね。空気は完全に無罪でしょ。丸山眞男教授じゃなくても、ビックリします。その!が、大川小学校の「事件」でも、東電の福島原発の「事件」でも繰り返されてますよね。

 じゃあ、「なぜ、そうなるの?」

 旧日本帝国の戦争の時には、「お国」という組織が戦争に向かうことに反対できないのは、鴨武彦教授によれば、「殺されるのが怖かったから」だと言いますでしょ。いまでは、直接的に「殺される」ほどじゃぁ、ないのかもしれませんね。でもね、今でさえ、間接的に「殺される」思いはするのかもしれませんね。組織がヤクザナ方向に向かっている時に、それに異を唱えることは、村八分、退職勧告、クビを覚悟しなくちゃなりません。ふつうは、その「村八分、退職勧告、クビ」が怖いから、「異を唱えること」なく、ヤクザナ教員に対しても、ペコペコすんですね。魂を、自分を、売ってるからですね。 私どもは、自分を売らずに生きるためには、アンパンマンの問い、「何のために生まれ、何をして生きるのか」を、自分自身の問いとして生きていくしかありません。

 岡辺伊都子さんの「売ったらあかん」

 自分を売ったら、あかん。

 自分を売ったら、あかん。

 

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