プラトンの遊びの定義「跳ぶ」は大事そうですね。覚えておきたい定義です。さて、今日は続きの第2段落です。翻訳します。
このプラトンの遊びの定義「跳ぶ」が持つ得難い品質については、後ほどじっくりとお話ししましょう。今は、私どもの組立遊びにもう一度戻って、その大事な性質の一つをもう一度考えてみましょう。というのも、遊びと呼ばれる、ないしは、遊びに見える、あるいは、遊びと感じられる多種多様な現象の中から、私どもが示した実例が具体的に示しているのは、特別な人間の能力、しかも、人間の進化に根差し、子どもの頃に想像力を働かせたおもちゃの世界で発達する能力、すなわち、いつくかの対象を使って、特別で象徴的な意味を、限られた領域内で想像した場面になした表現に、与える能力なのです。私どもの例では、そのような場面は、大人の求めに導かれていますし、したがって、完全に自発的であるというわけではありません。実際、私どもはさらに踏み込んで申し上げることもできます(後でそうするつもりです)し、ここで起きていることを儀式化していく手続きと呼ぶこともできます。さらには、こういった組立たものに、形の上でも内容的にも驚きという品質を唯一与えうる、「本当に楽しい」のあの要素を認める人もいるでしょう。さらには、私どもがおもちゃの場面に読み取ることができた意味は、思い切って新たなチャンスに挑戦したことを示しています。たとえば、心と体が本当にやり取りできるようになれたらいいなぁ、長年厳しくされて自分を縛りすぎていたものから、新たな社交上の持ち味を作り出せたらいいなぁ!
さてどうでしたか? 私どもがおもちゃを使ってイメージしたことに、特別で象徴的な意味を与える、その能力がテーマです。物を使って、実際に目の前にあるわけでは必ずしもないことをイメージする、そして、そのイメージに意味を見出す、その意味には、その人の願いが思い切って示される。人間にはそんな能力があるわけです。イメージ、話し言葉(声)、出来事(体験)を結びつけて、苦しかったことを喜びに、悲しかったことを希望にかえていくのが、この「本当に楽しい」を必ず伴う能力であり、「本当に楽しい」の不思議、恵みなのです。その時はじめて、こころ、本当の自分、<私>が育っていきます。ですから、「本当に楽しい」がどれだけ重要なことか、いくら強調してもしすぎることはありません。別に松本幸四郎さんが「苦しみを勇気に、悲しみを希望に変えて差し上げるのが、われわれ俳優だ」とコマーシャルでおっしゃっていることの受け売りではありません。この「本当に楽しい」の不思議と恵みこそ、長い人間の歴史の中で見出された、英知であると私は確信しています。
それではここまで。
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