ジョン・カボット・ジンさん。『大きな不幸を生き切ること』から。信頼のさらに続き。
瞑想をするようになった人の中にも、自分のいろんな気持ちや直感を大事にしない教員の評判や力に巻き込まれちゃう人もいますよね。そういう人って、その教員が、自分よりもずっと頭がいいし、ずっと先を行っている人だって思い込んじゃってますでしょ、その教員のことを、完璧な知恵のモデルだと尊敬しなくっちゃ、と思っちゃうし、この教員が言った通りにしなくっちゃ、とも思っちゃう。こういった態度でいたら、瞑想のスピリットとは、正反対ですからね。だって、瞑想のスピリットって、あなたが自分自身になることですし、自分自身になる、って、どういうことか理解することが大事だからです。誰か他の人の人マネをしてたら、その相手が誰であっても、的外れをしてる、ってことですからね。
従属するモデルのなるのは教員だけではなくて、親の場合もあります。でも、日本人の多くは、上司の顔色、校長や部長の顔色を気にして、その指示待ちで仕事をする場合が、いちばんよくあるパターンです。でも、これだと、瞑想のスピリットとは、真逆です。≪偽りの自分≫を演じることになりますからね。大体、瞑想、あるいは、内省がないと、≪本当の自分≫がどういうことかが、もう、分からなくなっちゃってる場合が、大人も子どもも、非常に多いんですよ。
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