今宵も、雨宮慧先生の言葉から学びたいと思います。『福音書のことば 上 旧約聖書から読み解く』(NHK出版)から。ヘブライ語の話です。完了形の話です。イエスが十字架上で「わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか」と言いますが、この言葉は『旧約聖書』の「詩編」第22編2節にあります。その20~22節は次のとおりです。新共同訳から。
20主よ、あなただけは わたしを遠ざけないでください。
わたしの力の神よ 今すくにわたくを助けてください。
21わたしの魂を剣から救い出し
わたしの身を犬どもから救い出してください。
22獅子の口、雄牛の角からわたしを救い
わたしに答えてください。
この最後の「わたしに答えてください」はお願いでしょ。しかし、これが単なるお願いではない、というお話です。
ヘブライ語の完了形は、普通の完了形のように、「すでに完了した行為で、現在もその結果が継続する行為」を表わすこともできるが、それだけでなく、まだ出来事になっていない行為をも表せる。「新共同訳」が「私に答えてください」と訳したのは、この完了を「祈願の完了」と見たからである。
祈願の完了とは、まだ出来事となっていないが、その成就が確実なので、完了で表わしてしまう語法のことである。…
一方、「新改訳」が「わたしに答えてくださいます」と訳したのは、この完了を「確信の完了」と見たからである。確信の完了とは、未来の出来事であるが、その成就を確信しているので、完了形で表わす語法である。
…ヘブライ語では、両方を併せ持つと見るべきだろう。
願い。「試験に合格しますように」、「宝くじが当たればいいなぁ」、「明日天気になぁ〜れ」
確信。「試験は合格だ」、「宝くじは当たりだ」、「明日は天気だ」
日本語では、願い≠確信、この2つは全くの別物です。
しかし、ヘブライ語は、願い=確信です。同じことです。不思議でしょ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます