エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

願い=確信  成就は確実と成就を確信

2016-07-02 02:32:00 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
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 今宵も、雨宮慧先生の言葉から学びたいと思います。『福音書のことば  上 旧約聖書から読み解く』(NHK出版)から。ヘブライ語の話です。完了形の話です。イエスが十字架上で「わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか」と言いますが、この言葉は『旧約聖書』の「詩編」第22編2節にあります。その20~22節は次のとおりです。新共同訳から。

 

  20主よ、あなただけは わたしを遠ざけないでください。

   わたしの力の神よ 今すくにわたくを助けてください。

  21わたしの魂を剣から救い出し

   わたしの身を犬どもから救い出してください。

  22獅子の口、雄牛の角からわたしを救い

   わたしに答えてください

 

 この最後の「わたしに答えてください」お願いでしょ。しかし、これが単なるお願いではない、というお話です。

 

 

 

 

 

 ヘブライ語の完了形は、普通の完了形のように、「すでに完了した行為で、現在もその結果が継続する行為」を表わすこともできるが、それだけでなく、まだ出来事になっていない行為をも表せる。「新共同訳」が「私に答えてください」と訳したのは、この完了を「祈願の完了」と見たからである。

 祈願の完了とは、まだ出来事となっていないが、その成就が確実なので、完了で表わしてしまう語法のことである。…

 一方、「新改訳」が「わたしに答えてくださいます」と訳したのは、この完了を「確信の完了」と見たからである。確信の完了とは、未来の出来事であるが、その成就を確信しているので、完了形で表わす語法である

 …ヘブライ語では、両方を併せ持つと見るべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 願い。「試験に合格しますように」、「宝くじが当たればいいなぁ」、「明日天気になぁ〜れ」

 確信。「試験は合格だ」、「宝くじは当たりだ」、「明日は天気だ」

 日本語では、願い≠確信、この2つは全くの別物です。

 しかし、ヘブライ語は、願い=確信です。同じことです。不思議でしょ。

 

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