望みがあるヴィジョン <生きていく方向(オリエンテーション)>と声
2013-08-07 01:37:44 | エリクソンの発達臨床心理
ヴィジョンは、日常生活の具体的なことにも、人々をやり取りの中でまとめ上げる物の見方と価値にも妥当する、整えられた事実に基づく、と言うエリクソンの主張も極めて重要です。日常生活の儀式化にはヴィジョンが必要だからです。また、その「整えられた事実」と言う時、いったいどうやって人は事実を整えるのか?という課題もありますね。
ヴィジョン。いろんなヴィジョンがあるのだろうと思います。民主主義のヴィジョン、社会主義のヴィジョン。≪神の支配≫のヴィジョン…。
エリクソンが挙げる代表的なヴィジョンは2つ。1つは「人類を上下2つに分けるウソ」。もう1つが、「人類は1つ」
「人類を上下2つに分けるウソ」。これを信じ込んで込んでいますと、その人たちの組織では必ず「いじめ」が起こります。なぜなら、「人類を上下2つに分けるウソ」では、「下」の者、自分より立場の弱い者には、いじめる、エバる、嘲笑う、そして、「上」の者、自分より立場が強い者には、媚びる、取り入る、おべっかを使う、がことの常だからです。
こういう組織、こういう社会は、今の日本のように、民主主義が滞ります。平気で理不尽な形で、人間らしい暮らしの破壊を、不正を、権力がしでかします。福島原発が今も継時的に放射能漏れを起こし、死の灰を撒き散らし、人間の暮らしを壊し続けていることを見れば、日本の権力、お役所仕事が、人間を平気で殺していることが分かるでしょう。
この状況を、一歩でも改善するためには、「一つの人類」、「すべて国民は 個人として尊重される」、「みんな違って、みんないい」などの、新しい規範に従った生き方が是非とも必要です。
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