エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

≪全身全霊の約束≫

2014-08-29 07:41:54 | エリクソンの発達臨床心理

 


十分に分析された人間?

2013-08-29 03:34:24 | エリクソンの発達臨床心理

 

 患者は、人類全体がいっそう自由に、いっそう人間らしい暮らしを実現するために、そういったヴィジョンに私どもを誘うために、身代わりに苦難を担当してくださっている、という視点は重要ではないでしょうか?


 

 「絵本の読み聞かせ」セラピー。私は良く使う方法なんですね。しかも、これは外れたことがない方法です。

 「絵本の読み聞かせ」セラピーは、「約束に基づいた遊び」セラピーの一つです。「約束に基づいた遊び」セラピーも、外れたことがないセラピーです。

 なぜ、「約束に基づいた遊び」セラピーに外れがないのでしょうか? 心理療法は、エリクソンがそうであるように、空前絶後の自分、すなわち、≪私≫を自ら育てる過程です。

 じゃぁ、その≪私≫はどのように発達するのか?

 それは、エリクソンのライフ・サイクル・モデルをご参照してください、ということになるのかもしれませんが、私なりにそれをまとめておきたいと思います。

 ≪私≫の核心には、必ず≪全身全霊の約束≫がある、ということです。≪全身全霊の約束≫は、全身全霊だからこそ、決して破られることのない約束です。考えてみていただきたいのですが、約束を誠心誠意守っている相手は、心から信頼できますよね。あるいは、自分が約束を誠心誠意守っていれば、先様は自分を信頼してくださることでしょう。そして、赤ちゃんの時の発達危機は、その「信頼」(根源的信頼感)をめぐるものでしたね。

 そして、①イメージ、②話し言葉、③出来事の三点セットの組み合わせ、結びつき。

 ≪全身全霊の約束≫は、この三点セットを細心の注意を払って、大胆に結び付けるものですね。イメージをできる限り誠実に話し言葉にし、いったん話し言葉にした以上は、「言ってること」と「遣ってること」を一致させようとするのです。そして、毎日の生活が、その≪全身全霊の約束≫を守り合うことが、エリクソンが言う「日常生活の礼拝(the ritualization of daily life)」になるのですね。

 ですから、≪私≫は、「神が死んだ」現代でも、神様が私どもに下さるような約束、すなわち、≪全身全霊の約束≫に、徹頭徹尾、貫かれているんです。それは、修道院か、お寺の修行のようですが、今という時代は、この≪全身全霊の約束≫はを、特定の宗教施設の中で行うのではなくって、自宅や職場やご近所でやるのですね。

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