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今朝の聖書の言葉は,「星を数えて」です。
初めて『旧約聖書』からです。ヘブライ語が分からないものですから,避けていたんですね。原語から説き起こしたい気持ちが強いんですから。でも,今回は別です。
人は,心が2つに分かれやすいでしょ。「こころ」と言う言葉そのものが,「コロコロ」変わりやすいから,「こ(ろ)ころ」と呼ばれる,と,どこかで矢内原忠雄先生がおっしゃられていたと思います。彼氏,彼女でも,二股を掛けたら,ケンカや諍いの元でしょ。
人は,心が2つに分かれやすいものですから,不安や疑いを持ちやすいものですね。だからでしょう。エリクソンは,赤ちゃんの時の,最初の,発達危機を,根源的信頼感と根源的不信感の天秤がどっちに傾くかの危機,としたわけです。根源的信頼感の方が豊かになれば,心が2つに分かれて不安や疑いを持つても,「大丈夫」と信頼して,希望を抱きつづけることができます。逆に,根源的不信感が強い人は,心が2つに分かれて,不安と疑いを持つと,「もうダメだぁ」となって,ますます不安と疑いが強くなってしまいます。
「星を数えて」は,『旧約聖書』の最初のところ,「創世記」第15章5節に出てきます。後々イスラエルの父と呼ばれることになるアブラハムが,まだ,アブラムと呼ばれていたころ,神様の(一方的な恵みの)約束を信頼しきれず,不安になり,「本当なの」と疑い始めた話が出てきます。その時に,神様がアブラムを「ちょっと外に出て,夜空を見上げて御覧なさい」,とまるで,坂本九さんみたいなことを言ったことがありますよ。その時に神様の言ったのが「星を数えて」でした。それは,「子どもが今はいなくても,あなたの子孫はこんなのたくさんになるんですからね」ということでした。
ですから,不安や疑いを持ちやすい人間にとって,信頼感を赤ちゃんの時に身に着けること,あるいは,神様を信頼することは,何のために生きるのか?と言う人間の最深欲求に応える意味で根源的に大事な課題ですから,根源的信頼感になる訳です。そしてこれは,自分を確かにされることの要です。自分を確かにされることをアイデンティティとエリクソンは呼んだんです。
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