エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#人生の根源的な課題

2020-04-11 09:43:54 | エリクソンの発達臨床心理
 
 



#聖書の言葉 #単独者の恵み  #響き合って生きる

 #聖書の言葉 #1人豊か #思い出して 聖書の言葉:δοκιμή ドキメ― 人品 の不思議    味方になってくれる身体、姿勢、動き   すべてに時期(とき)があ......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

    Afterthoughts. 1985 「補足 1985」 から。Childhood and  Society の3番目の,最後の序文です。おそらく,エリクソンの出版した最後の論述になると思います。

 p.8の第3パラグラフから。

 今朝は,p.9の,第3パラグラフから。 

 

 

 臨床で人間をよく観察する日々を記す中で,初めて偉大な体験に戻ることができたんです。それは,心優しい友達や先生のおかげで,ウィーンのフロイト派の「先達」の中で,近年発見された,子どもの頃の体験の普遍性について,体得することこそ気高い試練だ,というところに戻ります。それは,特別学校で私どもが観察する時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があることを体得するという気高い試練がありますし,心の病で苦しむ大人の思い出と成育歴から,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があると体得するという気高い試練がありますし,子どもを自由にすることそのものズバリを出来事にすることから,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験に普遍性があると体得する気高い試練がありますが,それはかつて,アンナ・フロイトが(訳注:大文字の希望にまで)育てた,子どもの頃の体験に普遍性があると体得するという偉大な試練です。

 この本の第一版の序文で,最初にウィーンで,ついで,このアメリカで,子どもの立場について,温めて,論文にもするようになったそのやり方を纏めました。その中に,それだけで1つの段落となった1つの文章がありました。それは「この本は,私の伴侶,ジョアン・エリクソンが編集しました」という文章がありました。しかし,私はこれにこう付け加えなくてはなりませんね。「私の本の全ても,ジョアンが編集しました」と。彼女もウィーンの私どもの小さな学校で教えながら,心から自由になるとはいかなることかを学んでたんです。その後,ジョアンと私は,ヒットラー政権による破壊的試練が目の前に迫っていましたから,渡米したんです(ジョアンはカナダ生まれです)。私は英語で話しを始めることはほとんどできませんでしたから,ジョアンは私の一緒に直すことになりました。このおかげで,私は,アメリカン・インディアンを含めて,様々な社会や文化圏の子ども達が陽気で楽しい歓びを歓ぶあの歓びの中にある,「目に見える表現」と幾重にも「封印された課題」を結び付けたいという,試練を希望にする私の試みに究極的には役立つ,毎日礼拝の結界感覚的で直感的に理解し,伝道する唯一無二の毎日礼拝する生き方を磨くのに役立ちました。しかし,ジョアンが私の一緒に直すことをしてくれたおかげで,聖書の神様のいのちが一巡する結界を見守る見守りを,ジョアンと私は共にすることができました。聖書の神様のいのちが一巡する結界は,「健全な人格の発達と試練」というタイトルで,全ての人が本当の自分が生きる(訳注:シャローム平和)ことに必ずお役立つ,20世紀中ごろのホワイトハウス会議にも役立ちました。聖書の神様のいのちが一巡する結界は,「健全な人格の発達と試練」というタイトルで,全ての人が本当の自分が生きる(訳注:シャローム平和)ことに必ずお役立つ,20世紀中ごろのホワイトハウス会議にも役立ちました。共に育つ2人と,2人を仲良しにするスピリットに関しては,私が笑みを湛えて思い出すのは,ブレイクの詩「おもちゃと英知こそ 2つの季節の実り」です。ですからね,「おもちゃと英知」は,単にこの本の1つの章の意義深いタイトルになっているだけではなくて,ハーヴァード大学で行われた「ゴドキン講義(聖書の神様の家族の声)」の一部をなしたこの本自体(訳注:キリストが表れている本,新約聖書)のタイトルでもあった訳です。

  『おもちゃと英知』は,初めから,とても多くの方に読んでいただきまして,沢山の「よその」言葉で(私が学校で習った言葉のドイツ語と,私の母語,デンマーク語も,含まれます)に翻訳されました。実際に,今を私の目の前に,デンマーク語版の「聖書の神様のいのちが一巡することができた」があります。このタイトルは,(訳注:デンマーク語で)LIvsringen Slutted : En Studiebog 『いのちの繋がり(訳注:いのちの和)ができた 研究ジャーナル』です。

 1963年版の『子どもの頃と仲間たち』の索引の中では,いくつかの項目が「中核になるぶつかり合い」として挙げられます。今日核が心配ということに触れていることを探しますと,驚くのは,「信頼 対 不信」という見出しが見つかることです。「信頼 対 不信」こそ,人生で根源的な課題です

 

 

 信頼 対 不信 。

 エリクソンによれば,こそ人生の根源的な課題,だそうです。

 なぜ,そういえるんでしょうか?


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